保護者が求めていたのは、こんなささやかな「生きた情報」だったのか

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福島県桑折町立伊達崎小学校の学校ホームページでの情報発信

JR東北本線で福島駅から仙台方面に向かうと、15分もかからずに桑折駅に着く。桑折は「こおり」と読む。桃が美味しいフルーツの町である。駅からクルマで10分くらいのところに丹治睦雄校長先生がいる伊達崎小学校がある。伊達崎は「だんざき」と読む。震災当日、丹治先生は、前任校である二本松市立小浜中学校にいた。小浜は「おばま」と読むと聞いて、取材中に慌ててメモを取った。

 

丹治先生の前任校を含め、福島県の公立中学校では午前中に卒業式を終えていた。2011年3月11日の午後、生徒は帰宅しており、先生たちは卒業していった子どもたちのことに心を寄せて、ゆっくりとした時間を過ごしていたという。突然、ひどく揺れた。翌週の1、2年生の授業はとりやめになった。校舎には大きな損傷はないが、高架水槽のパイプがはずれて屋上に設置していた貯水タンクの水が全部流れ出してしまったため、水が使えなくなった。

 

そして、原発事故。停電は無かったので、テレビなどで事故の事実を知るが、放射性物質の拡散の状況などはわからない。生徒は自宅で待機しているはずだ。ガソリンを買い求めるために町内に出ると、外を歩き回っている生徒が目に止まる。「もっと正確な情報があれば、強く外出禁止を指導することができたはず」と丹治先生は悔しがるが、二本松市は福島第一原子力発電所から50キロ以上離れている。それだけ遠くても福島市や伊達市と同様にホットスポットとなったところがあることなど、地域に住む人には知る由も無かった。

 

丹治先生は2011年の8月1日に福島第一原発から60キロ以上離れた桑折町立伊達崎小学校に赴任した。本来ならば4月から赴任するはずが、震災の影響で異例のことだ。そして、その伊達崎小で放射能除染のための悲しい取り組みを聞かされることになった。
伊達崎小には自慢したくなるものがあった。それは、広い校庭に敷かれた緑の芝生である。これは、住民の念願が叶い、福島県の「うつくしまグリーンプロジェクト事業」を活用することができ、震災の前年の2010年の6月に児童、保護者、教職員、住民300人が一丸となって大切に植え付けたものだ。その後も先生だけでなく保護者が協力して手入れをしたことで、夏に芝生が良く育ち、秋には子どもたちが芝生の上で思いっきり走った。子どもたちは「来年はこの芝生の上で運動会ができるね」と心躍らせていた。それが・・・・・

 

皆で懸命に芝生の除染作業をした。延びた芝生を刈り、芝生を水で丸洗い洗浄した。何度も、何日もかけた。しかし、芝生の線量は毎時1.62マイクロシーベルト。やむなく芝生をはがすことに。悲しかった。芝生をはがす作業は、子どもたちが遠足に行っている時に実施した。この悲しい出来事は、新聞記事などでも取り上げられた。皆がもう一度芝生のある校庭にして欲しいと願っている。

 

丹治先生は大切な思いのために2011年11月から毎日欠かさず実施していることがある。それはブログ機能を使った学校ホームページでの情報発信である。自らデジタルカメラを片手に学校内を歩く。そして、学校の日常を記事にしてブログで紹介する。今日の給食、今日の授業、ごくごく日常の学校の様子、そして学校の線量、一日に6〜7件もの記事をアップロードして紹介している。
震災以後、学校に子どもたちを送り出す保護者には、目に見えないものに対する言葉にならない不安がある。それゆえ学校での出来事、学校生活を正しく、わかりやすく伝えていくことがいっそう重要になった。学校ホームページには、毎日100件ほどのアクセスがある。児童数103名、75家庭なので、保護者が毎日のようによく見てくれているようだ。
「学校の中のささやかな出来事を毎日学校ホームページで発信していますが、保護者の方からは、学校への見方やイメージが変わったという声が聞こえてきました。保護者が求めていたのは、こんなささやかな生きた情報だったのかと思いました」と丹治先生は語る。

 

桑折町立伊達崎小学校

http://www3.schoolweb.ne.jp/weblog/index.php?id=0710049

 

(取材日:2012年2月28日 ネットアクション事務局 新谷隆)

 

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

This article( by ネットアクション事務局 )is licensed under a Creative Commons 表示 2.1 日本 License.

 

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