糠ニシンは,ひっそりと小さな保冷庫に並べられていた.

新千歳空港というと,もちろん北海道の空の玄関であるが,お土産屋さんはもちろんのこと,衣料品店や書籍店も立ち並ぶ一大アミューズメントパークの様相を呈している.北海道みやげといえば「カニ」を思い出す方も多いのではないだろうか.乳製品にならんで海産物は千歳空港のお土産物売り場でも中心的な存在である.賑々しい店構えの片隅に糠ニシンが申し訳なさそうに置かれていた.

そんな糠ニシンを三平汁にして食べた.

「石狩鍋」とくらべると,「三平汁」という字面からして庶民的な感じが溢れ出ている.両者ともに北海道の郷土料理であることには違いはない.石狩鍋は味噌で味をつけるが,三平汁の味付けは,魚自体の味と塩味だけである.

「味付けに味噌の代わりに糠ニシンを入れれば良いんだよ」と友人がおしえてくれた.実は三平汁をつくったことがないばかりか,食べたことすら,見たことすらなかったが,この短い説明で「三平汁」らしきものをつくることができた.

くり返すが,三平汁は北海道の郷土料理である.土佐で三平汁とは?なにを言いたいのか混乱させてしまうかもしれない.

ニシンのことを少し調べていたので,そういえばニシンの味とはどんな味なのだろうと,新千歳空港のお土産屋さんで見つけたものを,久しぶりに帰省で帰る南国土佐まで抱えて帰ったのである.ニシンといえば米のとれなかった蝦夷地で松前藩の財政を支え,ニシン御殿まで建てた,その立役者である.詳細は別ページに譲るが,江戸時代のニシンは日本人の衣服をも一変させてしまうほどの大きな存在であった.

そのニシンは千歳空港の片隅に小さく並べられていた.しかもアメリカ産であった.北海道産のニシンはないのかと数匹ひっくり返してみたが,すべてアメリカ産であった.ニシンは北の魚なので,アラスカ近海でとれたものであろうか.アメリカ産でもニシンはニシンだなと,気をとりなおして1匹購入した.

水洗いした後の糠ニシン

南国土佐以外で暮らしたことのない母に,「この糠ニシンを三平汁にしてたべる」と言うと,「そんな見たことも料理したこともないようなものを買ってくるんじゃないよ」と叱られた.実はその前日,知人から分けてもらったカニを少し食べた.北海道から帰省する私が,大きなカニでも抱えて帰るものかと期待していたのかもしれない.

糠は綺麗に水で洗い落とした.下茹でした里芋,大根,人参などの中に,一口大に切ったニシンを入れただけで出来上がり.この時には肝心の昆布でだしをとることを完全に忘れていた.

もちろん内蔵の部分まですべてキレイに水洗いしたので,これで本当に味が付くのか少し不安であったが,しっかりとニシンの味が里芋などについて美味しくいただいた.ニシンを見たことのない土佐人達もよろこんでたべていた.昆布だしを入れるのをすっかり忘れていたにもかかわらず.

三平汁を食べながら,わたしは「まあ,イワシみたいなもんだな」と知ったようなことを言った.イワシはイワシ,ニシンはニシンなのだが,分類上はイワシとニシンは近い関係にありそうだということを下調べしてあったので,生粋の土佐人たちに良いところを見せようと口走ったのである.

「そんなことはないだろう,これはニシンで,はじめて食べた.イワシとは違う」という反応を期待していたら,母が「そうやね,イワシにそっくりや」と意外なことを言った.「味はともかく,骨の並びの感じがイワシとおんなじやね」とつづけた.

わたしは直接調理していない.糠ニシンを洗って,一口大に切ったのは母である.それをずっと横で見ていたが,その間数十秒.ニシンの骨の並び具合を観察していた様子はなかった.それでもニシンはイワシの親戚だと母は気づいた.何十年と魚をさばいて来た指がそれを敏感に読み取ったのかもしれない.