想いがあれば連携できる

現場同士の呼びかけによる情報共有

「もっと助けられたんじゃないか」。岡山県消防防災航空隊に所属する、貝原勝敏隊長(震災発生時:副隊長)と北本有作隊員はそう話す。

 

岡山県では2009年4月、岡山県消防防災航空隊を設立し、防災ヘリコプター「きび」を導入した。水難救助や山岳遭難事故における捜索・救助、高層建築物火災における救助、山岳火災・林野火災の消火活動などを行っている。震災発生を受けて被災地へ飛び、宮城県内で救助防災・救急搬送・物資輸送などを行った。

隊長(震災当時:副隊長)の貝原さん。ユニフォームは自分達で色を選び、デザインした。


岡山県消防防災航空隊は、県下市町村の消防本部から派遣された職員で構成されている。

 

 

貝原さんは倉敷市の出身。学生時代から競泳を行っており、スイミングクラブに勤務していた。競泳から消防本部に勤める人は多く、先輩に誘われて消防の道を志した。消防学校の教官を務めた経験も持つ、この道のプロフェッショナルだ。

 

隊員の北本さん。拠点としたホテルのエレベーターに貼られた「救助隊の皆さん、ありがとうございました」の貼紙に涙が止まらなかったという。


北本さんは岡山県北部に位置する真庭市消防本部から派遣されている。中学校の頃までは、いわゆる「やんちゃ」な少年時代を過ごした。剣道を教えてくれた師匠に「人の役に立て」と言われて消防士を目指した。

 

 

 

 

 

 

 

貝原さんは「消防防災航空隊の現場では、救助できるチャンスがある方が少ない。8割、9割は助けられない」と話す。だから、少しでも救助できる可能性を広げるために厳しい訓練を重ね続ける。そして、救助するには何よりもまず「いつでも現地に行けること」が必要だ。

 

防災ヘリコプターは、度重なる点検・整備を必要とする。1年のうち4分の1程度は、点検・整備で飛べない。そこで、同様にヘリコプターを持つ岡山市と協定を結び、点検・整備の時期が重なってヘリコプターが不在にならないように現場同士が調整している。近隣の県とも、どこの県のヘリコプターが点検・整備中か情報を共有している。
この動きは、現場同士の呼びかけを中心として実行されている。もちろん異なる組織だから「縦割り」と言われるような組織の垣根はある。「組織は違っても、救助したいという想いは同じ。想いがあれば垣根を越えて連携できる」と貝原さんはいう。

 

災害時の救急救助には、消防庁が定めた「緊急消防援助隊」の枠組みがある。この枠組みでは本来、岡山県消防防災航空隊は京都以北には派遣されないが、発災直後被災状況が分かるにつれ「これは派遣要請があるのではないか」と思い準備を進めた。駐機拠点も決まっていなかったため当日夜に出発することはできず、3月12日に夜明けとともに岡山を発った。具体的な行き先や活動内容も決まっていないままの出発だった。中継地点である埼玉県のヘリポートで、山形空港が拠点になることを知った。3月末まで寝る間も惜しみ活動を続けた。その間、岡山県に防災ヘリコプター「きび」が不在となるが、消防庁がリーダーシップを取り、他県も含めた広域的な連携でカバーする体制ができていた。

 

「ヘリコプターで一度に救助できる人数は限られている。100人以上が避難しているスーパーの屋上に着陸しても、全員は救えない」。現地では厳しく過酷な「割り切り」が迫られた。
貝原さんと北本さんはいう。「それでも我先にと混乱するのではなく、子供や病気の方を優先する。日本は素晴らしい」
「地震で自宅が崩れた時のため、自宅にバールを持ちましょう。でも、そのバールは自分を助けない。隣の人を助けましょう。その想いを皆が持てば、皆が助かる。日本はそれができる国だ」と。

 

(取材日:2011年12月28日 ネットアクション事務局 森崎千雅)

 

 

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