釜石の店が動き出していた

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  • 12月末、釜石港の水はとてもきれいだった。

 

潮が満ちる岸壁も水没する

 

港の地盤が下がって、岸壁のギリギリまで水位が上がっていた。そのため満ち潮になると海水で洗われる。排水の小さな川にも海の澄んだ水が入り、海の魚が泳いでいる姿が見える。港近くの住宅地。10メートルほどの高さに坂を上ると、それまでと変らない崖地での生活があった。息を切らせながら階段を上って家に入る老婆はなぜか、大変そうにため息をつきながら、こっちを向いて笑ってくれた。「すごい坂でしょ、毎日登っているのよ」と話しかけてくれたような笑顔だ。巡回するバスを待つ奥さん達は静かに街を見下ろしていた。

 

坂の上は何事もなかったかのようだ

 

平地にはまだ、赤い旗やペンキで解体を望む建物が残っている。瓦礫はほとんど片付けられていた。潮が満ちてくると、港から少し離れた窪地に海水がやってくる。なぜか、この水もとても美しく澄んでいる。

更地のなかに残る建物。街道沿いの床屋さんの回転灯が回っている。「七五三や成人式の写真を撮りましょう」と提案する写真屋さん、コンビニエンスストア、女性衣料のお店、食べ物屋さん、歯医者さんが開いていて嬉しかった。あるお店のご亭主は「橋を渡ると、普通にお店が開いているんですよ。こちらも早く店を開けなきゃと思いました」。数ヶ月の避難生活のなかでも身体をなまらせないために、避難所でできることをさせてもらったと。

 

冬の港の海はとても澄んでいた

 

「やっと終わったと思ったけど、また借金です。でも、建物は直せば使えたし、三年間の利息据え置きは嬉しかった。ただ、所得証明や、事業計画等の書類の数々を出さなくてはならない。言われた書類がなかなか揃えられなくて辛かったあ。いろんなものが流されて、商売がうまく行く証明をする資料なんて、そう簡単に出て来るもんじゃないでしょ」と笑う。

 

自営業者の中には津波で亡くなった方も、これを契機に商売をたたまれる方もいらっしゃる。ほんの一瞬で仲の良いご近所のご商売の仲間を失っても「あそんでいられないんですよね。僕らは失業保険もないし、働いているのが身体にも心にも良いし、お客さん皆さんに会いたいし」という。

「でも、地元向けの商売をやるってことは、企業が動き出して、皆さんお仕事ができないと、こっちまで回って来ないんですね。何とか、また、いろんな企業の皆さんに来ていただいたり、復活して頑張って欲しいと思います。新日鉄の下請けやってた工場が自分で製品つくったりとか、釜石の会社も頑張っているところあるんですよ」。

 

潮が引いていても岸壁ギリギリの水位

 

遠野は真冬の雪景色。JR釜石線でトンネルを越えると、太平洋を望む釜石は冬晴れのぽかぽか陽気だった。
ボランティアに来てくださった皆さん、ありがとうございます。おかげで、何度も何度も瓦礫を片付けていただいて、本当に助かりました。おかげさまでお店を開けることができました。遠野の皆さん、本当にお世話になりました。役所の皆さん、女性の方も深夜まで残って働いていただいて、ありがとうございます。真っ暗な道を、防犯のために何人かでかたまって歩いて帰られたのを何度も見ました。本当にお疲れ様です。僕はこの街を離れるつもりはないし、なんとか生きて行きますよ。

 

 

 

(取材日:2011年12月23日 ネットアクション事務局 杉山幹夫)

 

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