三人の女神「遠野物語」岩手県の民話 について知っていることをぜひ教えてください

民話といえば「遠野物語」

 

民話を調べてみようと思うと、やはり初めに浮かぶのが、岩手県で生まれた「遠野物語」である。岩手県は、古代には朝廷の支配の及ばない「蝦夷地」と呼ばれる地域に含まれていましたが、平安時代の後期には平泉を中心として奥州藤原氏により長きに渡り繁栄した地域でもあります。遠野物語の舞台となっている遠野市は、おおざっぱな捉え方をすると岩手県の真ん中よりも少し右下がりの位置にあり、北上山地に囲まれた平地にあります。(東日本大震災の際、南東部に位置している遠野市の後方支援の役割はとても大きなものとして知られています。)

 

日本の民俗研究の出発点となった「遠野物語」

 

「大むかし、遠野のあたりは大きな湖だったそうだ。その湖の水が猿ヶ石川になってながれでて、いまのような町になったといわれてる。遠野のあたりの川はみんなこの猿ヶ石川に合流する。遠野には七内八崎ありといわれているんだ。内は谷とか沢のこと、崎は湖につきだした岬のようなところをいうんだ。遠野のト-は、アイヌ語の湖の意味らしいぞ。....」(柳田国男原作、柏葉幸子編集 遠野物語より抜粋)

原作者である民俗学者柳田国男氏が、佐々木喜善氏という遠野出身の文学者が拾い集めた昔話(どこの村のなんという人が体験したと語り継がれてきた口述文学)をまとめたとされる。この遠野物語は、民話ということにとどまらず、日本の民俗学研究の出発点といわれてもいる。遠野物語は、119話にのぼる物語が記録されている。民話が生まれてきた背景には、当時の政治の影響を受けた民衆の生活や心情が大きく関与され、また、そこには現在にも通じる私たちを含む民族性が隠されてもいるのだろう。また、お話の中には、気候を始め、民話が生まれた頃の町の様子を窺い知れるものもある。例えば、上記の抜粋の中に在る遠野のトーが、アイヌ語からつけられているものだとすれば、歴史に疎い私のような者でも、当時のアイヌ民族は海を隔てた遠野との間にも深い繋がりがあったと推測できるのだ。こう考えてみると、民話は歴史を紐解く書であると捉える事も出来、さらに興味深く感じるのである。

 

「2017/1/8 菅原由美」