「つなぐ」設備は自分の子ども

重要インフラを担う技術者たちの遺伝子は連綿と引き継がれている

普段は、固定電気通信ネットワークのアーキテクチャーを担当しているNTT東日本・ネットワーク事業推進本部の河野真之さんと滝口英樹さん。震災3日後に立ちあがった大津波エリアの被災設備復旧チームのメンバとしてネットワーク設備・サービスの復旧対応にあたった。

 

河野真之さん

日本は地震が頻繁にある。初動はどうあるべきか、もっと早く、もっと効率的に、同じトラブルは2度と起こさない。災害マニュアルおよび通信設備の構築方法は、地震が起きる度にアップデートされていた。

 

例えば、電気通信設備の商用電源が切れるとエンジンが回り出して発電する。阪神淡路大震災の際はエンジンと燃料タンクをつなぐ配管経路が切れてしまった。現在は、柔軟で切れない配管に変更されている。以前の災害では、公衆電話に利用者が集中し、コインが詰まって利用できなくなった。今回の震災ではすぐに公衆電話が無料化された。

 

一方、今回は被災エリアが広く、地震発生後に長時間かつ広域の停電が発生した。事前に自家発電用に準備していた燃料タンクへの給油や移動電源車の配備が間に合わず、地震や津波によって大きな被害を受けていないエリアにおいてもサービスが提供できなくなる事象が発生した。

 

入社以来、ずっとネットワークの仕事に携わってきた河野さん。実のところ災害対応は何度も経験している。1993年の北海道南西沖地震、1994年の北海道東方沖地震、2007年の新潟中越地震・・・。

通信設備に何かあった場合、ミッションだから治す、というより「自分の子供のように育てている、だからおれが治す」という気持ちの方が近い。社員の多くがそう思う。重要インフラを担う技術者たちの遺伝子は連綿と引き継がれている。

 

 

震災直後には、多くの人々が特設公衆電話の前に並んだ。一刻も早く家族とつながるようにしてあげたい、現場の社員はそんな気持ちで対応した。避難所の特設公衆電話は、2011年11月9日までに延べ1,200カ所、3,930回線が設置された。

 

直接「つなぐ」活動もあった。復旧関連の工事関係社員が自主的にはじめた「伝言お預かり活動」である。「電話が使えないので何とかして家族に自分の無事を知らせてほしい」と被災された方から伝言をお預かりし、会社に戻って親戚等にお伝えする活動だ。

 

 

 

滝口英樹さん

西日本の支援チームは、震災発生後24時間経たないうちに、被災地近くの高速道路のサービスエリアにかけつけてくれた。復旧グッズと自分たちの食料や寝泊まりグッズを持参して。そういえば、阪神大震災のときは東日本から随分応援に行った。これまでもそんなふうに助け合いながら復旧活動はすすめられてきた。

 

現場の状況は現地に行かないとわからない。たとえば神奈川支店にはバイク隊がある。道路が寸断されると車が入れない。バイク5台、指揮車1台の構成で災害対策や現地情報の収集の役割を担う。今回の震災では延べ110人日稼働した。車にWi-Fiアンテナを搭載し、被災者の方々に使ってもらう。車の近くに来た人はインターネットが使えるようになる。避難所等に開通したものと合計するとインターネット接続コーナーは述べ450箇所に及ぶ。今後はもっと拡充する予定だ。

 

東京直下型地震がきたらどうするか。太平洋側で起きると被災規模は気が遠くなるような大きさになる。次の震災へ活かすため、本当はどうだったのか、津波との関係、通信ビルへの影響、初動における自衛隊との連携訓練、燃料オペレーションなど、検証とシミュレーションは今も続く。

 

もっとシンプルなネットワークがつくれないか。電気量を格段に減らせないか。ビルと電源とお客様へのアクセス。次の世代に向けて、新たな構想と次なるチャレンジが始まっている。

 

NTT東日本関連資料は、以下のとおりです。

 

・東日本電信電話株式会社『東日本大震災における復旧活動の軌跡』(2011.11.28)(pdf)

http://www.ntt-east.co.jp/info/detail/pdf/shinsai_fukkyu.pdf

・東日本大震災におけるNTT東日本の復旧活動について(動画)

http://www.ntt-east.co.jp/info/t_movie.html

 

 (取材日:2012年1月30日 ネットアクション事務局 小豆川裕子)


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