できるだけ正確な情報をとどける

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できるだけ正確な情報をとどける

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  • 人々の心を繋ぐ中心となったサイト運営

できるだけ正確な情報をとどけること。

助けたい気持ちがある人の、ヒントやきっかけになること。

そして、過去にしないこと。いっしょに未来をつくること。

 

http://tasukeaijapan.jp/

 

「助けあいジャパン」の冒頭に、わかりやすくこのサイトの有り様が書かれている。言葉の通り、赤い色で今もボランティアを募集している地域が表されて、旅行社に働きかけてつくったボランティアツアーが紹介されている。

「助けあいの入り口」として「ボランティアしたい」「お金を送りたい」「物資を送りたい」「地元産業を応援したい」「チャリティに参加したい」短い言葉とイラストで「これなら、自分も助けあいの中に入ることができる」と直感できる作りだ。地図をクリックすると地域の被災と復興の概要がわかる。レイアウトも、色も、言葉も、全てわかりやすい。角のない丸いハートのマーク、丸い文字、赤い色が「動きたい」「役に立ちたい」という気持ちを自然に表に出させる。

 

この助けあいジャパンを設立し、運営する「さとなお」さんにお話を伺った。

http://www.satonao.com/profile.html

 

「この震災は自分ごとだったんです。フェイスブックやツイッターなどで、自分の知り合いの中に被災された方がいました」。きっと多くの人が自分ごととしてこの災害を受け止めている。何か出来ないか。

 

「政府の出す情報もそれぞれのサイトの深い所にあるとわかりませんよね。だから人力で全て見て歩いて、最前線で活躍しているコピーライターたちが、わかりやすい文章に書き直して掲出しつづけました。今も、毎日続けてくれています」という。「今日の政府・今日の省庁情報」は被災地の復興に必要な情報を毎日丁寧にコピー化している。

 

「例えば、原発の問題でも、政府はローデータ、つまり生のデータを出すべきなんです。自分で「安全」を解釈してはいけない。機械に読めるデータにして公開して、民間に解釈を委ねるべきだと思います。安全かどうかは、国民や企業がそれぞれ判断する。政府の判断もその中の一つ。それがガバメント2.0です。税金をつかって集めた情報なんだから、出してあたりまえなんですね。それを活用して分かりやすく伝えるのは民間のほうが上手です」と言い切る。

 

政府に対しては「あれだけ大規模な災害なのだから、どんなに一生懸命やっても出来ないことはある。横で見ていましたけど、人間として出来ることはかなりちゃんとやったと思いますよ。政府を批判する暇がったら、民間が手を動かして自分にできることをやった方がいい」と評価する。一方、助けあいジャパンの運営から派生して、様々な活動を手弁当で行ってきた自分には「言い出しっぺなのに、やらなければいけないことの10%ぐらいしか出来なかった。もっとやれた。もっと出来なくてはいけなかった。サボっている」と厳しい。

 

「子供のころは本が好きでした」歴史物が好きで、そこから読み始めた。「自分は教養主義だ」といい、例えば夏目漱石が書いたもののなかに登場する友人の小説家がいたらその人のものもと、次々に読み繋いで、日本文学、外国文学、哲学と中学生のころには「コレクター」のように本を集めて読み終えていた。「高校時代は森本哲郎がすきでしたね」という。

 

品川区の大森の出身で、横浜に暮らしたこともある。身近な鎌倉を愛し「学生当時の歴史の知識を覚えていたら、すごいですね。でも全部わすれちゃいました」と笑う。奈良や京都の神社仏閣の朱印を集めることも大好きだったそうだ。大手広告代理店電通の大阪で、CMプランナー、コピーライターをしていた頃に神戸の震災に遭う。「北海道南西沖地震の奥尻や、普賢岳のことなどはニュースを通じて気の毒に思っていました。寄付をしたりもしました。しかし、自分が被災して初めて、こんなにも辛いものだったのかと思い知りましたね。奥尻や雲仙の方々ごめんなさい、全然わかっていませんでしたって」

 

インターネットの重要性にもこのとき気付いたという。「神戸で震災の当日夜には電気が復旧したんです。テレビをつけると、東京で地震が起こったらどうなるかとかの特集をやっていました。隣で人が埋まっていたり、修羅場になっていたりするのに、マスメディアは被災地に必要な情報を流せないのだと実感しました。ぐじゃぐじゃの部屋からコンピュータを掘り出して繋いでみたら、インターネット創成期でまだ全国に個人サイトなど数十件ぐらいころだったのに、神戸から情報を発信している方がいらして驚いたんです。人類が初めて手に入れた一般人が発信できるメディアだと実感しました。しかも限りなく無料に近くて、自分でコントロールできる」

 

そうして自分のサイトを始め、丁寧に情報を出していたら、出版社の眼にとまって「うまひゃひゃさぬきうどん」が世に出ることになる。サイトのコーナーが出版される形になったのは日本国内、一番か二番だという。「本はいつか書きたい、出したいと思ってはいましたが、まさか本当に出せるとは思いませんでした。その上、処女作が讃岐うどんとはね」と笑う。サイトにのびのびと、自分で経験したことを記していたものが、本になるという従来の出版とはまったく違うスタイルで「作家」となった。いまだにファンからは「最近美味しいものの記事が少ない」と叱られるのだそうだ。

 

「今回の震災ですぐ動いたのは、条件が揃っていたということもあると思います。インターネットやソーシャルメディアのことをよく知っていたし、ある程度経験値もあったし、政府内にも仲間がいた」。鳩山内閣誕生直後、首相と食事をする機会があり、そこで、「これからは密室で決めたことをトップダウンするのではなくて、首相が国民が対話している場に参加して、等身大の人間として情報を発信したほうがいい」とツイッターの活用を提案したところ、すぐ受け入れられた。友人たちに声をかけて無償で内閣官房に入る。そうして首相のバックでツイッターやブログのディレクションをすることになったが、スタートの1週間は寝る間がなかったという。

 

震災の直後、政府に「民間でサイトを立ち上げて、政府と協力する必要がある」と提案し、直ぐに了解を得る。助けあいジャパンの誕生だ。あまりにも公共的なことを政府と協力して実行していたので「政府から費用が出ている」と思う人が多かった。実際には一銭ももらっていない。しかし、その誤解を解くよりも、被災地に対して何が出来るかが大切だった。

 

「やっと短距離走から長距離走の体制に、昨年の11月ぐらいからなれたんですよ」。自分の仕事を持つ人々、情報発信のプロたちが手弁当で集まって、休日や業後に業前に睡眠時間を削って運営してきた。やっと専従職員をふたり雇用した。今春からは寄付控除を活用できるようになり、企業などからも寄付しやすい体制にする。今まではまずやることが大切だったが、これからはつづけることが大事だという。

 

震災直後、被災地ではネットを見ることができなかった。「必ず来る次の災害のときには、どうやって被災地と繋がるのか、それを考えなくてはならないんです」。背の高い、脚の長い、頭のいい、自分でハードルをあげて自分のことを許さない、洒落た眼鏡のかっこいいおじさんは、次の会議へ向った。

 

(取材日:2012年2月13日 ネットアクション事務局 杉山幹夫)

 

 

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

This article( by ネットアクション事務局 )is licensed under a Creative Commons 表示 2.1 日本 License.

 

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