はじめに

紀伊半島南西海岸付近に位置するみなべ町は梅干しの最高級品として知られる南高梅の産地である。みなべ町では世界農業遺産に指定されているみなべ・田辺の梅システムという栽培方法を行っている。この梅システムについての詳しい説明は後述するとして、この記事では主にその梅システムの主目的である梅の栽培、収穫のほかに梅システムの重要な役割を果たす薪炭林に生えるウバメガシを伐採して、それらを加工して作る最高級の炭である紀州備長炭について深く掘り下げていく。

そもそもみなべの梅システムって何???

正式名称をみなべ・田辺の梅システムとされるものとは、400年ほど前より受け継がれてきた持続可能な梅を中心とする農業システムのことであり、2015年に世界農業遺産に認定された。この梅システムでは元々自生していた薪炭林を残しつつ山の斜面に梅林を配置することで水源涵養や崩落防止などの機能を持たせることや、梅の花の受粉における二ホンミツバチの利用や里山の自然環境の保全によって豊かな農業生物の多様性を維持しているということが特徴である。

みなべ・田辺の梅システムの仕組み

紀州備長炭について

紀州備長炭は江戸時代の元禄年間に和歌山で生まれた。それはウバメガシ、アラカシなどの原木に紀州独特の土窯で製造される木炭で、多年の経験が必要とされるその製炭技術は県の無形文化財に指定されている。世界に類のない硬質な白炭で木炭の最高傑作とされている。備長炭の名はかつて江戸時代に紀州の炭問屋、備中屋長左衛門が普及したとされ、この名がついたと言われている。

現在も稼働する炭焼き職人の小屋

昔は原木の輸送手段がなかったため炭焼き職人は山のウバメガシが少なくなると別の山へ移り、炭を焼いていた。炭焼き職人は原木の再生に合わせて山から山へ移動していたのである。みなべの地にも過去に作られた炭焼き窯が多く残っており、それらの窯を改良し現在もそこで炭を焼く職人も存在する。山をよく知る彼らの優れた炭焼き技術はその後土佐(現在の高知県)や日向(現在の宮崎県)にも伝わりそれぞれ土佐備長炭、日向備長炭と知られるようになった。

       明治時代に作られた炭焼き窯。    今もなお現役で使われている

 

何故紀州備長炭は最高級の木炭であるのか

紀州備長炭は木炭の最高級品として数多くの高級料理店などで使用されている。その理由としてまず挙げられるのがその炭素濃度である。通常の木炭の場合、炭素濃度は平均して80%であるのに対して紀州備長炭は95%と、圧倒的に違うのだ。その違いは重さからも一目瞭然であり、紀州備長炭の方が重く、通常の木炭を互いに軽くぶつけたときは木炭がパラパラと一部剥がれるのに対して紀州備長炭は何も剥がれず金属のような音が出る。この両者の違いは使用する際にもわかる。紀州備長炭は通常の木炭と比べ火力が強く、火持ちもとても良い。

また、紀州備長炭はその独特のまろやかな炎と温度がタンパク質の分解を防ぎ、肉を美味しくするためのアミノ酸を形成する。さらには遠赤外線効果で食欲を誘うグルタミン酸を増加させるため、料理人に長く愛されている。

紀州備長炭はこんなことにも使える!

①優れた除湿作用!

備長炭には縦にも横にも通じる穴が無数に空いており、そのおかげで臭いの分子などの吸着力に優れた性質を持っている。そのため冷蔵庫や押入れ、床下に入れておくだけで除湿、消臭ができる。

②土壌改良剤としても!

この無数の穴には微生物がすみつきやすいため、備長炭を砕いて土に混ぜると微生物の活性を高め高架的な土壌改良剤となる。

③マイナスイオン効果あり!

家電製品から発生するプラスイオンを中和し室内の空気バランスを保つほか、ベッドの下に備長炭を入れて寝ると不眠や神経痛、冷え性に効果的である。

④遠赤外線放射であったかく!

お風呂に備長炭を入れると、遠赤外線放射の効果で身体がよく温まる。

⑤もちろん美味しさアップにも!

直接火をつける以外にも、炊飯の際にご飯に備長炭を入れて炊くとふっくらとした美味しいご飯が炊けるほか、お水に入れておくと美味しいミネラルウォーターができるなどの効果がある。

過去の売れ具合について

このように様々な利用価値がある紀州備長炭であるが、過去には売れ行きが芳しくない時期もあったという。戦後復興ののち、世間一般にプロパンガスが普及するとそれまで使われていた紀州備長炭やそれ以外の木炭も昭和30年以降家庭でもだんだんと使われなくなり、現在も問題として上がっている里山の人口流出も重なって里山産業は窮地に立たされていたのだ。みなべ町(当時は南部川村)もそれは同じであった。

このまま序々に衰退していくかのように思われた里山産業であったが、平成に入ったところで思わぬ好機がみなべと紀州備長炭に訪れる。きっかけは何件もの同じ内容の電話であったという。その電話の相手の要望は紀州備長炭のバラ売りをしてほしいということであった。なぜその方は備長炭をバラ売りで欲しかったかというと、平成5年に発生した冷害による全国的な米の不作が原因で、国内に出回るのがあまり日本人の口に合わない海外米であったがため、その方々は紀州備長炭のお米を美味しくする特徴に目を付けたとのことだった。備長炭のバラ売りなどは当時あまりされておらず、入手するには箱入りでまとめて買うくらいしかなかったことから直接連絡がきたという。当初みなべ町の対応はバラ売りはできないとしていたが、毎日何件もの同じような電話が鳴るためどうにかできないだろうかと当時対応していた職員のみなさんは考えたという。そして結果、箱で買うより少し割高な値段でみなべの地でバラ売りを開始したところ大盛況となり、遠方からもお客さんがわざわざ訪れるほどであったという。平成の米騒動は1年で終息したためその後も常に大人気とはならなかったそうではあるが、しかしこの出来事は紀州備長炭の良さを世間に再認識させる機会となった。

現在(2020年)は新型コロナウイルスの影響から全国の飲食店が営業停止や営業短縮を余儀なくされており、これが意外と問題であるとみなべ町の職員は語る。前述したように紀州備長炭は火持ちが良く、その特性は飲食店にとっても好都合であった。なぜなら長い営業時間の間、燃料を変える手間と時間をかけずとも紀州備長炭は営業終了まで火が持つためである。しかし、営業時間が短い現在の状況下では火持ちを気にする必要性があまりなく、火持ちが良いという理由で紀州備長炭を使用していた飲食店からの発注も少なくなっているという。このコロナの状況の中、どのように切り抜けるか紀州備長炭も試されているのである。

薪炭林を守る、択伐

さて、これまでは紀州備長炭について述べてきたが、ここからは備長炭を製造するのに欠かせないウバメガシの林、通称薪炭林を守る技術、択伐について説明していこうと思う。みなべの南高梅を栽培する上で欠かせないみなべ・田辺の梅システム、この梅システムにおいて重要な役割を担う薪炭林であるが、この薪炭林は自然そのままに生えているわけではない。実はこの薪炭林を地道に管理し整備している方々がいるからこそ、みなべ・田辺の梅システムは成り立っているのだ。その方々の正体こそ、薪炭林を主に構成するウバメガシから作られる最高級の炭である紀州備長炭を焼く炭焼き職人の方々である。そしてその伐採方法である択伐が薪炭林を維持し、未来に紀州備長炭を存続させるために欠かせない技術なのだ。

ウバメガシの林、薪炭林

江戸時代に備中屋長左衛門が名付けた備長炭はたちまち好評を博し、紀州藩も生産を奨励したことから増産を続けたがその結果原木の枯渇の危機という大きな問題に直面した。そこで生み出されたのが択伐であった。それは株立ちするウバメガシをすべて伐らずに太い幹から選択して伐採し、細い幹は次に成長するまで残す方法であり、これは山と共に生きてきた先人たちの経験から産み出された技術なのである。

択伐されたウバメガシ

野生動物を捕らえるための罠