これからこそ情報発信が必要なんです

仙台から南に約25km。名取川や阿武隈川がつくりあげた仙台平野を、仙台空港を通り過ぎて更に進むと、宮城県亘理郡山元町に着く。町域は南北に伸び、西側は緩やかな丘陵だが、東側は平らな土地と遠浅の海岸が広がっている。夏は海風が通り、冬は西の丘陵が季節風に乗ってくる雪を落としてくれる。一年を通して穏やかで、甘いリンゴやイチゴが採れる豊かな土地。ホッキ貝も名産だ。
この町を津波が襲い、町域の約4割が浸水した。600人以上が亡くなった。

 

 

障害者支援の専門知識を学ぶため、冬はスキー場で働いてお金を貯め、夏は全国各地で研修を受講したこともあるという藤本さん。発電機の使い方や整備など、スキー場での経験も役に立っているという。

 

 

海からほど近い山寺地区。ここに私設のボランティアセンターがある。地域のお寺「普門寺」を拠点にした「おてら災害ボランティアセンター(通称:テラセン)」だ。代表を務めるのは、藤本和敏さん。名取市で障害者生活支援を行うNPO法人ドリーム・ゲートの理事も務める。震災からこれまで休む間もなく、名取と山元の往復を続けている。

 

藤本さんには、テラセンの活動に繋がる経験がある。中越地震でのボランティア活動だ。「少しでも役に立ちたいと思って参加したが、何もできなかった」という。その一方で、災害ボランティアの知識・経験を持ち、装備等の準備も行っている人は何をすれば良いかを的確に判断していた。
将来、宮城県に地震が来ることは分かっていた。名取市に戻った後は、震災ボランティアの講習に参加したり、発電機を集めたり、事務所に宿泊できるスペースを設けたりした。

 

2011年5月、藤本さんは普門寺の住職に出会う。山元町は社会福祉協議会によるボランティアセンターの立ち上げも4月になり、復旧は遅れていた。特に海側の地区は避難指示区域のため、自己責任でのボランティア活動はできても、社会福祉協議会によるボランティアは派遣されていない。手つかずの状態だった。住職はお盆に法要を迎えられるよう、一人で本堂の泥を出し、お墓を立て直していた。藤本さんは「手伝わせて欲しい」と申し出た。

法要ができる目処が立った7月、藤本さんは周辺民家への支援も行うことを住職に提案し、テラセンが立ち上げられた。最初はドリーム・ゲートのホームページでボランティアを呼びかけたが、全然集まらなかった。しかし、中越地震のボランティアで知り合った方がテラセンの活動を友人に呼びかけてくれ、人が徐々に集まり出す。関東でIT講師を行っている方が、テラセンのホームページも作成してくれた。

 

人と人の繋がり、人から人への呼びかけがテラセンを支えた。そこに役立ったのがホームページや、mixi、AmazonといったITサービスだった。「mixiやAmazonなど、皆が普段使っているサービスは凄い。スピードが全く違う」と藤本さんはいう。mixiで友人から友人へ呼びかけが瞬く間に伝わっていく。Amazonの「欲しい物リスト」に必要物資を登録すると、驚くほど早く送っていただける。

 

「これからこそ情報発信が必要なんです」と藤本さんはいう。
「山元町から避難して、離れて暮らしている人も多い。そのような方に○○さんの畑で大根が採れたとか、○○でお花が咲いたとか、些細なことでも伝えたい。少しでも山元町の状況を知って『山元町は確かにある』と思っていただきたいんです」
「今は情報発信が全然足りない。本当は情報発信専業のボランティアメンバーが欲しいぐらいです」という。

 

ボランティアに来てもらった人にも情報を伝えたい。
「泥出しやがれき撤去などの作業が終われば次の場所に行くというのがボランティアのあるべき姿では無いと思っています。一人一人の方に寄り添って長く続けて欲しい。例えば畑で野菜を作ることを手伝えば毎年関われる。そんな姿が良いんじゃないかと思っています。そうすると、現地に来られない時もまちの姿を知りたくなる。情報を発信していきたい」
「遠い親戚が山元町にいる。そう思ってもらいたい」と藤本さんはいった。

 

宮城県亘理郡山元町おてら災害ボランティアセンター(テラセン) ホームページ

http://ameblo.jp/teracen/

 

(取材日:2012年2月22日 ネットアクション事務局 森崎千雅)

 

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