三人の女神「遠野物語」 について知っていることをぜひ教えてください

遠野の山と三人の女神の話

遠野は岩手県の内陸部で四方を山に囲まれている平地。その山々の中でも特に高くて美しいのが早池峰(はやちね)と呼ばれている山、東側には二番目に高いとされる六甲牛(ろっこうし)、西側には附馬牛(つぎもうし)と達曽部(たっそべ)という集落の間辺りに石神(いしがみ)と呼ばれるこの3つの中では一番低い山がある。「三人の女神」は、母親の女神が三人の姫女神をつれて、来内村(らいないむら)の伊豆権現のお社のあるあたりで泊まった時に、「今晩、いい夢をみたむすめに、いちばんいい山をあげる。」と約束したことからはじまる。2人の姫女神は、胸弾ませて眠りにつくが、一番下の娘だけは気持ちが高ぶって寝付けない。そうこうしているうちに、長女の姫女神の胸に、空から不思議な綺麗な花が降り注ぐのを見つけ、いい夢をみれるかもしれないとその花びらをちゃっかりと奪い取って寝てしまった。その結果、一番下の娘がいちばんよい山とされる早池峰山をもらってしまう。「いまでも、その三つの山にはそれぞれの女神がすんでるっていわれている。だから、遠野の女は、女神たちになにかで嫉妬されることをこわがって、その三つの山にははいらないようにしてるんだ。」(柳田国男原作/柏葉幸子編集 「遠野物語」を参考、一部抜粋)

原作からの理解

上文は、遠野物語を児童向けに編集した書籍を参考としたものであるので、物語のストーリが中心となり、ここからは具体的な当時の状況は見えにくい。その為、より地域の限定などを含め理解を広げようと考え石井正巳著「全文読破 柳田国男の遠野物語」の力を借りることにした。

【原作冒頭】遠野の町は南北の川の落合に在り。以前は七七十里とて、七つの渓谷各七十里の奥より売買の貨物を聚め、其市の日は馬千匹、人千人の賑わしさなりき。」

石井氏の文中の語釈から、七七十里というのは「当初の市日には七七十里の旅人集会して商売繁盛の地なり。七七十里というのは、花巻・郡山(今の紫波郡紫波町)・大槌・釜石・十八里(盛。今の大舟渡市)・高田(今の陸前高田市)・岩谷堂(今の奥州市)、何れも道のり奥道七十里なり」(遠野古事記)市の日とは、「六度市といわれ、一の日と六の日、月に六度開かれた」(注釈遠野物語)ということがわかる。商業の繁栄されている様が鮮やかに伝わる。

また、石井氏の書に記されている【鑑賞】から、「....昔話によくある末子成功譚のパターンを踏まえている。三山神話には王権を鎮護する聖地であるという思想があるが、それは遠野の地にも生き続けていると考えていい。こうした認識ができたのは修験者だったと思われるが、この話は彼らが創り上げた中世神話だったのではないか。.......省略......末尾は、三山神話が女人禁制の起源になったことを語る。.....省略....男は一人前になるために、「お山がけ」と言って、遠野三山に登らなければならなかった。」

 

これらの著書から民話が語りはじめられた人たちの姿がおぼろげながら浮かんでくる。また、「三人の女神」の文中にある伊豆権現のお社からも歴史的な要素が多く見いだせるように思い、「三人の女神」の結末からは、今も昔も変わらない女性の心理もうかがえて、何やら古い話とは思えないという近さも感じたのである。

「2017/1/8 菅原由美」