住民の発信活動が自治の基盤に

 

日常の発見と記述が自治基盤として、教育、防災、観光、産業、イベントなど、それぞれの領域で捉え方の前提となる「地元の共通認識」を作り、対応する自治体の民主制度の基盤を築き始めている。
 

地方自治体の民主制度の基盤を生産するLocalWiki

日本人はディベートを好まないのでないか。それは、意見の違いを元々許容する文化を培う、農村の協力で成り立つ集落の運営から成り立った良識なのかもしれない。絶対にわかりあえない、考えた方の相違を際立たせて議論の勝ち負けを好まず、どこまで議論の基盤をそろえたとしても、考え方の違う人々どうしが、同じコミュニティに属し続けるのが常であったのかもしれない。伊豆大島の高校生でLocalWikiのエディターが言った。「今日、口も利きたくないくらい腹を立てた相手とは、口をきかないの。だって明日は好きになるかもしれないし、少なくても島に住んでいるから、学校休んだって毎日のように会うんですもの」という。

ただ、自分の住む、島、街の形を知り、歴史を知る。知る内容自体を、自らLocalWikiのページとして綴り続ける作業は、地方自治体における住民自治の議論基盤となるであろうか。

地方自治に貢献する教育

その島、その街に特有の地理的条件、地質的条件、歴史的背景は、現在のその土地の気質を表すことがあるかもしれない。同じ歴史を知っていたら、同じ地図をもとに議論をしていたら、同じ地質、地勢、気候の中で、その街の春を話すとき、そこに共通の基盤を生み出す教育課程を作ることがあるかもしれない。

LocalWikiの各ページは、その土地の歴史を表現し、そのまあ教科書は副読本の原典となる可能性がある。

 

自治体の政策議論の前提となる、共通の認識、基盤を作る作業

教育の過程でできる議論の基盤、共通の地勢を理解するための文筆、編集、調査、発信、保存は、それを深く学べば学ぶほど、その土地の利益、隣人の利益、ひいては人類全体に及ぶ利益となる可能性があると言える。その土地の情報を様々な方法で書き記すことは、後世に対して、甚だの孝行となるかもしれない。

同じ歴史人気、同じ地理的条件の認識をもとに、議論をすれば、必然的に、その土地の目指すものを議論することになりはしないだろうか。
 

 

内外同時に発信するウェブが果たす、住民の認識を域外に人々にも発信する過程 

「説明することで得る自己認識」この土地はどんな土地なのか、どんな歴史があり、どんな地理的な条件があるのか、旅人や、よその土地の人々に説明しようとしている時、ひとは、自分が自分の土地をどう認識しているか、理解しやすいのではないか。その土地を知らない人々に、説明する時、丁寧で、日常会話の中では大前提となる条件、例えば説明しない地名やその地名が付けられた場所を、説明することになる。それが、さらに、地物の人同士でも新たな認識の共有となる場合がある。

 

観光案内への発展の可能性

自分の街の日常の風景が、観光の資源であることは、近年様々な場面で認識できる可能性がある。その一つとして、自分の土地のリージョンで、初めてやってくる、あるいはくるかもしれない未来の観光客を想定した発信はどのように起こるだろうか。街の人同士でないとわからない言葉遣いや地名、その歴史などが、前提として語られると、観光案内とは言えない。その配慮、もてなしは、その対象が実感、想像できなければ起きない。地元の人々だけで通じる情報、私的な情報が、その異文化を体験する人々にはより貴重な発見になる可能性はある。しかしながら、別の土地に暮らす友人が、初めてこの地元を訪ねる時に、友人として何を知らせるのか。そう考えると、友人に向けた手紙、案内が、観光案内の本質をついたものになる可能性がある。

街の外に友人がいない、あるいは旅人を想定できない中で、地元民だけが理解できる情報が発信されることでは観光振興につながる発信とはならない。どんな旅人を、どんなもてなしで、楽しませるのか。読み手を想定したページ、旅人を想定したページが生まれる可能性は十分にある。一方で、LocalWikiの住民同士のコミュニケーションになる記事を見ていた住民が、実際の観光客を前に、記事群で学んだ地元の情報で「つい観光案内をしていた」「否定的に捉えていた街の風景と堂々と案内していた」と観光客に向けて発信をした事例も生まれている。これは、時間をおいて、「内輪の情報」だったものが「旅人に配慮された情報」に再編集される可能性を十分に秘めている。

 

 

防災、災害復興におけるLocalWikiの役割

日常的な編集と発信は、LocalWikiの地図機能を使って行われるとき、背景の地図オープンストリートマップ(OSM )の編集を必然的に誘発する。文書が苦手で、写真と地図を好むタイプのエディタは、地図の編集にのめり込む場合もある。「地図を編集すると地元への愛着が増えます」と、明確に言葉にするマッパーも現れ、LocalWikiなど他のメディアと合わせて、自らの住む土地の地形を把握することで、日常的に自治基盤となる地形の把握が行われることがある。地形の把握とともに、災害の歴史を掘り出して、記述する、海辺の施設の標高を記述するなどの活動は、いざというときへの日常の準備となる。どのように地図を描き、どのように記事をまとめ、誰に向けて発信するのかという議論の中で、住民の防災意識は自然、鳥瞰的になり、冷静な避難や復興のイメージを生み出すことになる。さらに、OSMのクライシスマッピングのように、被災地の状況を外から地図に描くことで支援する活動や、実際にLocalWikiのエディタがマスコミの間違った報道を正したり、安否の発信をする場面、出来上がった地図や記事が風評被害を消し去る場面も現れている。日常の発信活動が、発信主体の存在、スキル、発信対象へ明確にした支援の要請など、災害時に役に立って行くのは明らかだ。また、学校など、避難所となる施設での防災訓練にも変化が生まれている。自分たちが避難して終わりなのではなく、避難所となる中学校、高等学校などが、教員、生徒、住民が協力して避難所を運営する訓練を始めている。ここに、情報の発信ツールとして、従来のネットメディアに加え、LocalWikiやOSMが加わる事例が生まれている。