地震でできた湿地を保全、環境教育・雇用創出に

いろいろ提案してもらってもいいタイミングです

 

気仙沼で牡蠣漁師を営む畠山信(はたけやま まこと)さんは、津波で九死に一生を得た。「第一波の時に、船を沖へ逃がそうと海へ出たところで浸水してしまい、最後は15分以上必死で泳いで、気仙沼大島にたどり着きました」

 

震災後、畠山さんは気仙沼の復興に向けて精力的に活動している。しかし、地域の未来像を共有することは難しい。たとえば、建設が計画されている高さ9.9メートルの防潮堤の建設について、雇用を生み出すとして期待する声と自然や風景を壊すとして反対する声がある。防潮堤を作らないようにするためには、海辺に住む人々が集団移転をする必要がある。それには同意しない人たちがいる。一方、地権者は山を売りたいこともあり集団移転を進めたいと考えている。そもそも、このことを知らない市民も多い。

 

 

「11月までは集団移転にしろ、街づくりにしろ、60歳以上の人と30代の人の考え方の違いが一番の問題でした。若い人は継続的な街づくりをしたいし、高齢者はもう少し短期でものを考えます。国の三次補正予算が通り、集団移転がほぼ確定したところ、皆さんの心にゆとりができて、継続性を考えるようになってきました」と畠山さんは語る。被災地の課題や状況は非常に多様で流動的だ。先月の課題と今日の課題は大きく異なっている。

 

それでも畠山さんには前向きなアイディアが次々と出てくる。「海辺にオイスターバーを作りたいですね。ウォッカを地元で生産して『オイスターショット』を作るんです」。オイスターショットとは、グラスに生牡蠣を入れウォッカとトマトジュースで割ったカクテルだ。「復興支援で来て気仙沼を気に入って『住みたい』という若い人も出てきました。地元の木材で10戸から20戸くらい賃貸住宅を造って、彼らが住めるようにもしたいです」

 

畠山さんは、環境保全や環境教育に取り組むNPO法人「森は海の恋人」の副理事長でもある。地震で地盤が沈下してできた湿地を保全し、環境教育や雇用の創出に生かしたいと考えている。「大震災の後に、海や湿地がどう変化していくのかという調査データは貴重です。研究者が集える施設を作ろうと生物学の研究者と話しています。自然環境にやさしい環境特区が私の理想です」

 

次々と具体的な取り組みを生み出そうとする背景を畠山さんはこう語った。「行政のトップダウンだけでは復興できないでしょう。他にもいろいろな支援や提案があり、初めはありがたく受けていましたが、だんだん自分たちでやりたくなってきたんです。自力でやろうとするところに未来があると思っています」

 

「ボランティアの人たちに、何をすればいいのかという質問をよく受けますが、私もよく分かりません。被災地に来て一緒に考えて欲しいと思っています。いろいろ提案してもらってもいいタイミングです。もっとぐいぐい来て欲しいですね」

 

(取材日:2011年12月1日 ネットアクション事務局 庄司昌彦)

 

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