子どもたちの勇気、元気、希望を伝えたい

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大船渡第一中学校の希望隊の活躍

岩手県の大船渡市は三陸海岸の南部に位置し、自然豊かな人口4万人のまちである。東日本大震災による大津波は大船渡市のリアス式海岸に到達し、死者340人、行方不明者84人という甚大な被害をうけた。石山宣昭先生が校長を務める大船渡市立第一中学校は山手にあって津波の被害からは免れた。当日、生徒も職員も学校にいたため、すぐに全員の無事を確認できた。校舎は耐震改修工事中であり、体育館などは、かなり老朽化しているので、まず全員を校庭に避難させた。停電し、電話もケータイのメールも使えない。まったく外部と連絡がとれない。聞こえるのは防災無線からの「大津波警報」の知らせだけで、詳細な情報を知ることは不可能だった。断水してしまい、水は貯水槽に残っている分だけしかなかった。

 

津波の危険の無い地域に住む生徒たちを帰宅させ、危険がある地域の生徒は保護者に引き渡した。幸い、保護者にも犠牲者は出なかったが、4割の職員、2割の生徒の住居が流失、全壊、半壊の被害をうけた。震災の日から数日間、先生たちは学校に泊まり込む。数日かけて避難所をまわって、生徒の所在を再確認した。学校の体育館はご遺体の安置所になり、授業は中止、卒業式も終業式も中止となった。そのことを生徒に伝えるためにビラを作って配り、避難所や大型店舗に貼った。電気が回復するまで1週間、水道はもっと長い間使えなかった。電話やインターネットの復旧には2ヶ月の時間を要した。4月下旬になってやっと入学式を行うことができた。

 

第一中学の生徒たちは辛い状況であるはずなのに、被災者というより、支援者としての振る舞いを見せることになる。震災の1週間後、生徒たちは「希望」という手書きの学校新聞を作って、全校生徒だけでなく避難所にも配った。新聞には「声をかけて下さい!何でもやります」と書かれている。「トイレ掃除、おつかい、何でもします。一中生に声をかけて仕事をさせて下さい」と。そして「助け合いたい!」と。生徒たちは希望隊と書かれたプレートを提げて、まちのいろいろなところで手分けして活動した。「これからもずっと全力で、地域のためにつくしていきたい」と。

 

学校新聞「希望」は避難所の人たちに大変喜ばれた。石山校長先生は「避難所の人たちは、文字に飢えていた」と言う。取材をしながら、避難所の人たちには子どもたちの気持ちがなによりも嬉しかったに違いないと感じた。新聞はその後も月に1〜2回のペースで発行され続けており、第一中学校のホームページで読むことができる。
インターネットが使えるようになってからは、支援団体からもらったデジカメで写真を撮り、こどもたちの元気な様子を学校ホームページで紹介するようになった。「一生懸命けなげに頑張っている生徒たちの様子を伝えたい」と石山校長先生は言う。全国から温かい支援をいただいたが、感謝の気持ちを伝えるすべがなかった。ホームページを使えば気持ちを直接伝えることができる。
「今後は生徒たち自身がデジカメで撮り、生徒たちが考えたメッセージを添えてホームページやブログに掲載していきたい。被災体験を伝えるのではなくて、生徒たちの勇気、元気、希望を伝えることが目的だ。他の学校との心のふれ合いもできて心が豊かになるはずだ。交流が深まること自体が財産である」と石山校長先生は語る。

 

・大船渡市立第一中学校

http://www.nnet.ne.jp/~daiichi/

・学校新聞「希望」

http://www.nnet.ne.jp/~daiichi/seitokai/sinbun/index.html

 

(取材日:2012年2月23日 ネットアクション事務局 新谷隆)

 

クリエイティブ・コモンズ・ライセンス

This article( by ネットアクション事務局 )is licensed under a Creative Commons 表示 2.1 日本 License.

 

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