現地で見たこと、考えたことを、毎日ミーティングで共有

遠野市は、東北新幹線の走る岩手内陸から津波で被災した釜石市や大槌町へ向かう道の、ちょうど中ほどに位置する。遠野から南方へ延びる道路は、陸前高田市や大船渡市へも繋がっている。1時間あれば、車で各地に行くことができる。

 

佐藤正市さんは、遠野市の社会福祉協議会(社協)で常務理事を務めている。以前は市の職員だった。

市の職員時代、佐藤さんが高齢者福祉を担当していた時のこと。結核の検査のために高齢者のレントゲンを撮ることになった。レントゲンは県立遠野病院でないと撮れない。しかし、高齢者の中には寝たきりの方もいる。寝たきりの高齢者を病院へ移送してレントゲンを撮るのは大変で、本人の体力面への影響も心配だ。何とか寝たままで撮れないか。佐藤さんは県立病院の副院長と掛け合った。副院長とは妙に馬が合った。あれこれ工夫した結果、県立病院の医師に出張してもらい、寝たきりの高齢者も結核の検査を受けることができた。目的を決めたら実現するまで努力する人だ。

 

震災後、社協はまず、市内の被災者への「炊き出し」、「通所介護施設での宿泊受け入れ」等を実施した。そして、普段から連携している釜石市・大槌町の社協が被災したため、その職員への「炊き出し」や「衣類下着の確保」、「防寒対策」等を実施した。被災地に入った知人からは「被災者は茫然自失の状態にあるため、いま何が必要か聞いても答えられない。現場を見て、自分たちで考えて判断するしかない」と聞いた。自分の目で現場を見るために、社協のスタッフも含めて、被災地に入った。

 

3月16日には、社協の中に「災害ボランティアセンター」を設置した。被災地の社協が津波で流されてしまったため、遠野が3市1町の後方支援拠点となった。遠野の社協には、応援のため全国の社協から職員が派遣されてきたが、宿泊場所がない。職員は全員、社協の建物内の畳敷きの部屋に寝泊りした。やがて個人のボランティアも入って来るようになり、隣の体育館も活用した。3月27日には、市内のNPO法人や諸団体が中心となって「遠野まごころネット」が立ち上げられ、社協と連携しながらボランティアセンターの運営や後方支援活動を行う形となった。そのおかげで、5万人に及ぶボランティアのほぼすべてを受け入れることができた。そして「遠野まごころネット」では、現地で見たこと、考えたことを、毎日開くミーティングの場で共有することで、被災地の状況把握や変化に対応した。

 

現地に来るボランティアが事前に参考にするのは「口コミとホームページ」。服装や宿泊場所など、必要な情報を正しく提供し、不安を軽減することに努めた。その結果、せっかく来たボランティアが作業できる格好をしておらず、断ったのはほんの数名だった。

「ボランティア活動を支援する上で、その時々の現地の情報を発信することは容易ではない。情報発信をうまく行える者が現場にいないし、何より人手が足りない」。今後のボランティア活動支援の課題として佐藤さんは語る。情報発信と情報共有。被災地支援には特にこれらが欠かせない。

 

(取材日:2011年12月8日 ネットアクション事務局 雨宮僚)

 

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