仙台のITベンチャー社長の奮闘記

宮城県仙台市に本社があるトライポッドワークス株式会社の代表取締役社長である佐々木賢一氏は、東日本大震災直後から旺盛なボランティア精神を発揮し、南三陸町などで実行に移してきた。

 

仙台市で被災した佐々木氏の家族は、近所の学校へ2日間避難した。避難所生活は、かなりきつく、寒い。沿岸部でこの生活が数ヶ月続いたと思うと、さぞ苦しかったことかと思う。

 

震災の直後は、気持ちも動転しているので、普段やれることの1割くらいしかできない。普段から社員全員にiPadを配り、ITを使って密にコミュニケーションを取っていたので、社員全員の無事をすぐに確認できた。災害時には普段から使い慣れた道具しか役に立たないとつくづく感じた。同時に、連絡手段を複数持つ必要があり、安否確認の訓練も必要だと痛感した

 

そして震災の翌週、月曜日から営業再開することを会社のホームページで宣言した。当社は設立して6年、やっと黒字基調となったばかりなのに「ベンチャーって地震とかがあるとダメだ」とは、絶対思われたくなかった。

 

佐々木氏は、業務の再開だけでなく被災地への支援のための行動も実に迅速だ。震災翌日からの週末を使って仙台近くの津波被災地を調べ、写真を取り、動画も撮影し、ネットで情報提供した。4月上旬に南三陸に行き、他の被災地よりも深刻な様子を肌で感じた。それがきっかけとなって沿岸部に対してのサポートのために団体を作る決心をした。多くのIT関連企業の経営者が共感してくれた。まずは「仙台から日本を元気に!」を作り、それを拡大して「ITで日本を元気に!」という団体を発足した。佐々木氏は発起人代表である。

 

実際に被災地支援の活動を始めてみると、安否確認しかり、物資提供しかり、情報のやりとりがうまくできていないことがわかる。大きい避難所では物資が余り、小さいところで不足していた。支援する人は段ボールにいろいろな種類の物資を入れたがる。しかし、物資は品目ごとに仕分ける必要がある。必要なものも来たがミスマッチが甚だしかった。佐々木氏は情報の管理ができていればもう少しうまくいくはずだと痛感した。

 

そこで、まず、正確な被災地ニーズを支援者に伝えようと考えた。早くから被災地へ大規模な支援を実施していたユニクロ社に対して、どの避難所に、男女何人いるか、必要な衣類のサイズまで詳細に調べ上げ、何十カ所もの避難所での衣料品のニーズを提供したところ、ユニクロ社は不足していた夏物衣服をトラック一杯寄付してくれた。その後、再びやってきた冬に必要な衣服についての現地情報を詳細に提供し、50万着もの支援をしてくれた。佐々木氏たちの団体は支援者と被災地を結びつける繋ぎ役となり、情報を繋いだ。

 

被災地も夏になると電気が復旧し始めた。そこで避難所や仮設住宅にPC、スマホ、タブレット、サイネージ、複合機、ネットワーク回線などを提供した。ITに不慣れな人も多いため、使い方教室も開催した。被災自治体にもPCを配り、ツイッター、フェイスブックでの地域情報提供のために、職員の方に対する使い方の指導も行った。

 

「ITで日本を元気に!」の人々は現在も被災地支援の手を緩めない。石巻にある宮城県水産高等学校にノートパソコン34台を寄付し、2012年2月にはプロジェクタとスクリーンも寄付した。これらは、各コンピュータ企業、リース会社、大企業などからの寄付である。どこにどういう不足がある、どういうスペックのものが欲しい、といったニーズをきちんと調査し、寄贈してくれた会社の方々にも同行してもらって設置した。
まだまだ復興できていないところは多い。佐々木氏の奮闘は、まだまだ続く。

 

・トライポッドワークス株式会社

http://www.tripodworks.co.jp/jp/

・「ITで日本を元気に!」

http://revival-tohoku.jp/

 

(取材日:2012年2月8日 ネットアクション事務局 新谷隆)

 

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