日本の昔話/水蜘蛛 について知っていることをぜひ教えてください

水蜘蛛

昔奥州の半田山の沼で、夏の頃に或人が釣りをしていますと、珍しくその日は沢山の魚が釣れて、僅かな間に魚籠が一杯になりました。ひどく暑い日であったので、その人は跣になって足を沼の中に浸していましたが、何処から出たものか一匹の水蜘蛛が、水の上を走って来て、その足の拇指に糸を引懸けて行った。そうして間もなくまた来ては同じ所に糸をかけるので、不思議に思ってその糸を拇指からそっと外して、傍にあった大きな柳の株に巻き付けて置きました。そうするとやがて沼の底で、次郎も太郎も皆来いと大きな声で呼ぶ者がありました。-中略ー

その中に沼では大勢の声で、えんとえんやらさあという懸け声とともに、その蜘蛛の糸を引っ張り始め、見ている前で太い株根っ子が、根元からぽっきと折れてしまったそうです。その時から後は誰一人として、今にこの沼へ釣りに行くものは無いそうであります。(岩代伊達郡)「日本の昔話/柳田国男より抜粋」

 

半田山の沼

福島県伊達郡桑折町にある半田山は、平安時代初期には日本三大銀山の一つに数えられていたことで有名ですが、明治24(1891)年位から少しづつ地滑りが起こり始め、その14年後には東側半分に大規模な陥没地滑りが発生し、半田山の中腹にあった旧半田山沼は消滅。南側に現在の62,000平方メートルの東京ドームの1.3倍もの巨大な形となって復活しました。破壊された当時、30戸の民家と鉱山長屋26棟が移転されたことを始め、明治43年にはさらに大爆風雨の被害にも見舞われたことで、半田沼が増水し、20戸の家屋が埋没し、流失家屋が11戸。翌年から67年もの長い期間をかけて、地盤保護や苗木の植栽など、復旧工事に力が注がれたことで、はげ山になっていた半田山が見事に甦っているそうです。

 

近づくと危険だという警告か?

「水蜘蛛」というお話しはいつ頃から語り始められたものなのだろうか。古くから生活の源とされた鉱山で生きる人々にとって、半田山は勿論の事、魚の生息地である沼はかけがえのない場所であったのは間違いないと思われ、危険であるということは知りつつも、近づく人が後を絶たなかったのではないのだろうか?それを制する為や、長い年月の上で繰り返されるかもしれない自然災害を考えての策であったのかもしれないと。山も沼も生き物であるということを、現代にも知らせてくれているようにも思えた。仙台藩伊達氏発祥の地であり、また、旧石器時代より人が住んでいた土地。人々の知恵は、今も尚語り継がれていた。

 

「2017/3/5 菅原由美」