日本の昔話/黒鯛大明神(小鯛大明神) について知っていることをぜひ教えてください

黒鯛大明神(小鯛大明神)

むかし土佐国のある山奥の村へ、浜から一人の魚商人が、魚を売りに入ってきました。寂しい山路で、道のわきの林の中に、誰かが罠をかけて置いて、それに山鳥が一羽かかっておるのを見ました。魚売りは之を見て欲しいと思いましたが、只取って行くのは良くないことであるし、そこにちょうど人がいないので、代りに自分の籠の黒鯛を三尾挟んで置いて、黙ってその山鳥を取って帰って来ました。その後から村の人が来て見て、山に黒鯛のいるのが既に不思議であるのにそれが山鳥の罠にかかるというのは只事ではよもあるまい。―中略―

...これは天の神のお示し.....すぐに小さな社を建てて、....黒鯛三所権現と唱えて祭りました。その評判が伝わりますと、方々からお参りに来る者があって、社は大変に繁盛しました。のちに魚売りがまた遣って来て、山鳥を持って行った話をする迄には、もう繁盛のお宮になっていたそうであります。「日本の昔話/柳田国男より抜粋」

 

治元元年、高知県のお正月のお話し

上記のお話の中では、「むかし土佐国のある山奥の村」という情報のみであったのですが、高知市春野郷土資料館のHPを見ましたところ、このお話が元治元年のお正月に魚売りがお屠蘇気分で3日も休んだので、さて仕事をしなければと広岡方面へ魚を売りに出かけた途中での出来事であったことがわかりました。元治元年とは、西暦でいうと1864年で、文久の後、慶応の前、1863年と1865年にまたがる時期であるそうです。当時の天皇は孝明天皇(明治天皇の父)で、江戸幕府14代征夷大将軍徳川家茂が収めていた時代。(Wikipediaより)

 

道徳心へのご褒美

お正月後の初仕事の漁な売りの忠やんが、たまたま見つけた山鳥が欲しくなったので、もらう代わりに自分の持っていた鯛を三匹代わりに置いてきた事が、再度その場所を訪れた時には、自分がしたことが神さまの思し召しということになっていて、三つの社が建てられ、村にはそのことがきっかけで大勢の人が集まり大賑わい。いわば村興しを知らぬうちにしてしまっていたということですが、本当にこれがたまたま誰にも言わずにやってしまったことが原因だったのか?果たして、正直者の忠やんを使った神さまの思し召しであったのか。神のみぞ知るということでしょうか。それにしましても、誰も見ていないところでも悪いことはしないという道徳心へのご褒美であったらという思いがいたします。

 

「2017/2/20 菅原由美」