届きにくい現地のニーズを直接把握し情報共有する

 

「晴れの国」とも呼ばれ年間を通じて降雨量が少ない温暖な瀬戸内の気候にあって、活断層が少ないことから地震による災害もほとんどない。県下には北部を源とする3本の大きな河川が縦断しており水に恵まれた地域でもある。災害とは縁遠いのではないかとさえ感じられる地勢であるが、被災地支援のため多くの職員などを派遣しているという岡山県にお邪魔した。消防航空隊、保健師、農業土木、心のケア、介護職員など様々な分野の職員を派遣し、緊急消防援助隊や県警災害派遣部隊を含めるとその数は累計2,000人を超えるという。庁舎は県の中央部を流れる旭川の最下流部に位置し、築50年を超える情趣のある建物だった。

 

福島と宮城を中心に避難所支援や災害対策本部での業務支援を行った『職員支援隊』として、宮城県災害対策本部で業務支援をしたという産業労働部産業企画課の劔持政己さんにお話を聞いた。

 

「2人1班の体制で9日間の業務支援でした。私は第二陣の班で4月8日から現地入りしました。第一陣班がパソコンの調達など現地での活動にひとまず必要な対応は終わらせていました。宮城県災害対策本部ではノウハウが蓄積されていて既にやるべき業務の役割が確立されていました。他県から来て業務支援だと言って途中から入り込む余地がなかったんです」。それぐらい頑張って対応していると感じた。そこで一人は事務所に残り連絡調整の役割、もう一人は既に南三陸町で活動していた岡山県の『心のケアチーム』と合流して、一緒に巡回して現地のニーズを聞いてフィードバックしようと考えたという。

 

「現地で直接ニーズを聞くと宮城県HPでは足りていると公表されている物資でも実際は物資が不足しているということが分かりました。県まで情報がうまく伝わっていなかったんです。県の倉庫にはその物資が沢山あって、連絡があれば提供できるのに役場自体が被災してしまった南三陸町では、避難者のニーズを把握して連絡するという余裕すらなかったんです」と、被災するということは常時は当たり前にできることが簡単にできなくなるということを教えてくれた。

 

人員と連絡手段に限りがある中で、県下に沢山ある避難所一つひとつのニーズを自ら確認するということは難しい。同じ「県」という立場で支援に来ているからこそ、届きにくい現地のニーズを直接把握し、情報共有して必要な物資を届けるということを考えついたのだろう。

 

「最初は支援のための岡山県現地本部のようなイメージでした。車が足りない、移動手段が無いというニーズに対しては、岡山県に連絡して、南三陸町に公用車5台を無償貸与できるよう手配しました。岡山県は南三陸町を支援するのが一つのパターンになりました。今思えば様々なニーズを把握するための活動班をいくつか編成して、その情報を上手く吸い上げるというようなことができていればもっとこの仕組みを活かせたかもしれないと思います」

 

他自治体の活動を聞くと関西広域連合などは、それぞれの県が担当する市町村を決めて、避難所から直接ニーズを聞き取って必要な支援物資を送るという同様の仕組みを作って対応していた。市町村単位で担当して同じ被災地を支援し続けるという仕組みは被災地支援のあり方として有効な仕組みなのだ。

 

「自分の職場に戻るとやらなければいけない仕事は多いですが、まわりのフォローや励ましがあったので支援活動に行くことができたのだと思います。実際に支援活動に行った他職員の話を聞いても辛さや疲労感よりも充実していた、楽しかったという方が多いんです。最初は不安だったけど、行ってよかったと思っています」

 

 

(取材日:2011年12月27日 ネットアクション事務局 山形信介)