社内のみんなが本気で受け止めてくれた

 

今すべきことを精一杯やろう、と。

「とにかく被災地の方々のお役に立ちたかった」。こう話すのは、日本マイクロソフト株式会社で渉外・社会貢献課長を務める龍治玲奈さん。ITを担う会社として、震災直後から被害を受けられた方々へのサポートを社内関係部署と協議し、支援の受け皿として、災害ボランティア活動支援プロジェクト会議(支援P)を通じた災害ボランティアセンターへのパソコン支援、そして、震災前に知り合ったNPO事業サポートセンターの池本さんと連携しての避難所へのパソコン提供を相談した。

 

「社内のみんなが本気で受け止めてくれた。OEM部門をはじめとするビジネス部門も、みんな真剣に議論してくれた。被災地に提供するなら、すぐに使えるパソコンじゃないと意味がないと。それに、わかりやすいインターフェースも作るべきだと」。社内7部門が結集したプロジェクトチームが生まれた。

 

「協力してくださった企業の皆さまにも、日本マイクロソフト社としても、このプロジェクトは、IT企業としてどれだけ被災者の皆様にお役にたてるか真剣に考えていました」「今だから言えるんですが」。NPO事業サポートセンターの池本さんを見て微笑む龍治さんはいう。「今回のプロジェクトはパソコンを2・3千台無償で提供するという何億円の事業です。もし、お繋ぎする先を間違えていたらどんなに損失になっただろう。社会貢献担当者の責任として、考えただけでこわかったです」。けれど、こうした不安はすぐに解消された。

 

NPO事業サポートセンターは、日本マイクロソフトをはじめICT業界各社で編成した「ICTキャラバン隊」(その後、一般社団法人 電子情報技術産業協会が立ち上げた「ICT応援隊」に統合)が提供したパソコンを避難所に設置し、ネットを活用した支援を行う「復興支援ITボランティア」を立ち上げた。避難所(現在は、仮設住宅)に情報ボランティアと呼ばれる人たちを派遣し、パソコンをきっかけにした丁寧なサポートを行っている。「池本さんと口論したこともあるんですよ。でもミッションをしっかり共有していたので信頼を構築することができた」と、ほっとした表情の龍治さん。パソコンを通して、復興活動の手助けができたこと、被災地の方々の役に立っていることが何よりもうれしかったんだろうと感じた。あえて誰かが手柄をとるとかの話ではないだろうが、何千台ものパソコンを無償で提供したことの社会的なインパクトは絶大なものだったといえる。

 

龍治さんがネットワークの重要性をあらためて感じたエピソードがある。龍治さんは震災が起きた時、社内のパソコンで海外支社含めすべての社員とチャットで連絡がとれることから、すぐに海外の知人に助けを求めたという。「画面をスクロールして誰か連絡がとれないかと必死だった。そうしたところ、ニュージーランド支社の社会貢献担当がオンラインになっていた。すぐに連絡したところ、いま何をしなければならないのか的確に教えてもらうことができた」。ニュージーランドも同じ年の2月22日に大震災を経験していた。そうした経験に助けられたという。こうした助け合いは今回が初めてではない。同じ会社の社員同士「普段はお互いチャットで話しているだけなんですが、会って顔をみたら、嬉しくて二人で抱き合っちゃいました」と。

 

(取材日:2012年1月18日 ネットアクション事務局 山田勝紀)

 

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