(社)RCF復興支援チーム代表の藤沢烈さんにお会いするのは三度目。お会いするたびに、にこやかな笑顔の中に精悍さが増している。震災後、現地に入って支援活動や調査を行い、国と被災地をつなぐ役割を担っている。

中学から高校までは「火山好き」の理系少年。高校三年で文系に転じ、社会学部に進学。大学時代から、自らお店を経営したり、NPOや社会起業家、ベンチャーなどの支援を行ってきた。社会に変化を与えることに関心があった。政治は本来、社会構造を創るアクターであるべきなのに、最近では経済寄りになっている。新しい社会寄りのアクターを創る必要性を感じていた。

 

復興は第三段階へ

「復旧・復興はもう第三段階にはいっています。『緊急支援期』はピースボート災害ボランティアセンターなど被災者支援団体が中心に活躍しました。『生活再建期』には連携復興センターなどつなぐ役割のところが中心になりました。これからの『復興支援期』は地域の人たちが中心にならないといけません」

 

参考資料:「2年目にこそ必要な復興支援とは」(RCF復興支援チーム)

http://rcf311.com/wp-content/uploads/2012/02/entrepreneurgathering_2012.pdf

 

 

「地元に入って支援活動している人は5年、10年続ける気持ちでいますが、外からの支援は、今後どんどん減っていきます。メディアが取り上げる頻度も減っていきます」

 

 これからの支援や復興活動は、行政単位ではなくコミュニティ単位で

「これからの支援は、県や市の単位ではなく、地区の単位で行うのがいいと思います。例えば、南三陸町を支援しているといっても、地元の人からみると、南三陸町のどこを支援しているのかわからない。長く続けるには顔が見える支援が必要なんです」

「今では、ソーシャルメディアやブログなどで、自分が関心を持った地域の情報を比較的容易に入手できます。また、『東北復興新聞』のように、被災地や支援団体を『横につなぐ』メディアも登場しています。これらのメディアを利用して、縁のあった地区とのつながりを維持し、年に一回でもいいので訪問するなど、細くても永くおつきあいできるといいですね」

「インフラ整備など、市全体でないとできない復興支援もあります。しかし、弱者対策などはコミュニティ単位での取り組みが必要です。地域の人たちが、自らできる復興でないといけない。そのためには、コミュニティ単位で復興計画を創ることも必要だと思います」

「もちろん、国や自治体の責務はあります。しかし行政に対して過度の依存心を持ってしまうと復興は進みません」

 

 企業誘致ではなく地元企業の再生を

「産業復興に迅速に取り組んだ例として、宮古市が挙げられます。東京から最も時間距離が遠い自治体ですが、以前から行政と地元産業の連携がしっかりとれていました。避難生活が終わった後、産業が復興してゆく過程で必要な資金などの手だても見えていたんですね。震災後、どの企業にどんな支援が必要か、固有名詞でわかっていたので、国や県の支援策を待たずにすぐに必要な対策を講じています。いまだに、国の補助金を待って、対策を止めている自治体があったらそれはだめですね」

「例えば、東日本の水産業は冷凍技術などが大変進んでいます。代表例は気仙沼。中国に工場を作るなど、海外にも進出しています。しかし、中国に企業移転しようとは思わない。気仙沼で育った企業なので、気仙沼から出るつもりはないんです。地元企業はグローバルに地域と世の中の関係を見ています。産業誘致より地元企業の再生に力を入れるべきです」

「今回の震災を機に、地方の人々と接する機会が増えました。そしてその中で、地域ごとに個性や顔があり、単純に『都市』と『地方』といった一律の区分はできないことを再認識しました」

「震災前から地方分権の動きはありますが、これからの復興は、単に元の姿に戻すのではなく、新しい地方自治を創る取り組みだと思います」

 

(取材日:2012年2月23日 ネットアクション事務局 村上文洋)

 


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