学校ホームページで絆をつなぐ福島県飯舘村立飯舘中学校

 

稲川教頭先生

 

福島県の飯舘村は福島駅から車で東に向かって1時間ほどのところにある豊かな自然に恵まれた美しい村だ。東日本大震災の当日、飯舘村立飯舘中学校で教頭を務める稲川竜寿先生は、午前中に卒業式を終えて生徒が下校して、片づけをしていた。その最中に激しく揺れた。ただ、体育館の天井の一部が落下した以外、建物に大きな損害は無かった。その後、数日間にわたって停電、翌週は臨時休校となった。

 

飯館の線量は、なかなか知らされなかった。そもそも線量計は村役場に1台と飯舘中の理科室に1台あるだけだ。結局、飯舘の線量が高いことは数日以上経ってからテレビの報道で知った。3月末に教育長が飯舘中に来て線量計で測ると44マイクロシーベルトあった。これが高いのか、低いか、正確な知識が無かったため、どうしてよいか分からない。テレビでは、直ちに被害は無いとの説明が繰り返されていた。住んで大丈夫という大学教授の話も聞いた。しかも、当時は放射性ヨウ素が多かったので、線量は毎日下がり続け、このまま無くなってしまうのではないかとさえ思えた。ところが、やがて線量が一定レベルから下がらなくなる。

 

子どもたちは自主的に3月中に半分以上が避難した。避難先は北海道から関西までに至る。そして、3月下旬に教育委員会は飯舘での新学期の再開をあきらめ、山の向こう側にある13キロほど福島市寄りの川俣町で学校を再開すると決めた。ところが、家庭への電話連絡網が機能しない。保護者との連絡もメールしか通じない。非常用に携帯電話の番号を聞いていたので、20名の教員総出で184名の生徒の家庭との連絡に明け暮れた。

 

4月22日に飯舘は計画的避難の指定を受ける。そこで4月20日に幼少中合同の入学式を飯館村で行い、その後福島県立川俣高校の施設を間借りして新学期をスタートした。教室が足りない、特別教室が無い。体育館やグランドが自由に使えない。トイレも仮設だ。部活は一時停止していたが、やっと11月から週に1回だけできるようにした。保護者の多くは、福島市内に移り住み、生徒は9台のスクールバスで学校へ通う。そして1学期のうちに、今後1年や2年は戻れないことが判明した。

 

遠藤校長先生

 

8月に飯舘中に着任した遠藤哲校長先生は、学校の様子を外に伝えるために学校のホームページで情報発信をしたいと思った。ところが技術的に難しく、更新もなかなかできない。すると地元の業者から被災地ならば1年間無料で使える良いシステムがあることを教えてもらった。それは、学校向けに設計されたコンテンツ・マネジメント・システム(CMS)だった。「これならば技術に不慣れな教職員でも毎日のように更新できる」と遠藤校長先生はいう。

 

1月にCMSが導入されると、遠藤校長先生が先頭に立って、学校の様子をホームページで紹介し始めた。以降、毎日何本もの記事がアップされている。なにも特別な行事の紹介ばかりではない。大雪の時の登校の様子、給食の写真と献立、本日の部活、数学の授業など、そして校庭と校舎内の線量が、写真とともに紹介されている。「保護者は学校の日常を知りたいのです」と遠藤校長先生は言う。

 

そして、稲川教頭先生は付け加える。「転校してしまった子どもたちのためにも、母校のみんなの様子を伝えなくてはならないのです」と強調し、続けて語った。

 

「子どもたちは、さよならを言って別れたわけではないのですから」

 

飯舘村立飯舘中学校

http://www3.schoolweb.ne.jp/weblog/index.php?id=0720022

 

(取材日:2012年3月2日 ネットアクション事務局 新谷隆)

 

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