農業辞めたくなかったんすよ

名取の農業青年と富良野の農業生産法人の出会い
 

「でかいこと言うなって怒られっかもしんねえけど、俺、自分が農業を続けていれば子どもが『あのおっさんかっけー俺も農業やる』って言ってくれるようになって、名取の農業もいつか復活すっかもしんねえ。日本の農業も大丈夫だってなっかもしんねえって。だって、津波が来なくても俺の周りに若いので農業やってんの俺だけだったんすよ。だから、どんなことしても農業辞めたくなかったんすよ。どしてもメロンが作りたかったんすよ」

 

櫻井さん櫻井芳仁さん(35歳)は宮城県名取市、仙台空港のすぐ近くの砂丘でメロンを作っていた。伊達政宗が掘らせた運河、貞山堀が仙台湾と平行する海辺だ。彼のお爺さんはこの土地でメロンを作り、地域に広めた先駆者だ。2011年3月11日、メロンを定植するために畑にマルチ(ビニールを貼って、水分量の管理をしたり雑草の発生を抑える)をかけていた。地面の砂同士がぶつかり合い、地割れが起こり、そこから地下水が吹き出す。立っている事も出来ない。砂地なので、報道された震度よりも強く揺れたかもしれないという。

 


 

地震の度に津波警報が出る。周辺に高い土地がないため、いつも避難先は空港のターミナルビルだった。しかし、これまで津波を体験したことはなかった。震災の直前にあった地震のときもそうだったので「まさか津波は来ないだろうと逃げない人もいたし、これだけの強い揺れだから逃げた方がいいという人もいました」という。浜の近くの実家に寄った後、内陸の自宅へバイクで向かう。渋滞をすり抜けられた。自宅は家具が倒れた程度だった。実家は津波で基礎しか残らなかった。同じ名取にいても状況がまったく違っていた。

 

波の引いた後、すぐに実家に戻る。最後まで避難を呼びかけていた消防団の車がひっくり返っている。中で知り合いが亡くなっていた。

 

「俺、頭がおかしくなっていたんですよね。なんか一生懸命、片付けというよりは使えるものはないかと探してたんです。あっ、種だ。俺の種だってメロンの種を見つけてプランターに蒔いてみたり、農薬見つけてこれは使えると喜んでみたり」
塩を被って絶対に使えない畑。メロンをつくるために勝手に動く手足。昨日まで「さあ、苗を畑に植え替えよう」としていた記憶が身体から消えない。

 

なんとか名取で農作業だけでもできるようにならないものか。お年寄りはこれを契機に諦めてしまう。お金が稼げなくても、畑いじんないと農家はみんなおかしくなってしまう。名取にとどまって農業を続ける道はないのか。今は無理なのか。どうせならメロンの本場の北海道で学びたい。いや、静岡のマスクメロンの高温多湿のなかでの品質の管理を学んだ方が戻ったときに役にたつかも。

 

 

寺坂さん。  2011年10月10日撮影。メロンに適した圃場にする為に暗渠排水を畑に施す。「来年櫻井くんの農場になるんだ」嬉しそうに、自ら重機を動かして、深 さ80センチから1メートルと圃場の両端で傾斜をつける。砂丘でメロンを栽培していた櫻井さんは始めて暗渠排水の技術を知る。ネットが繋がらないので、札幌の友人にメロン作付けの求人を探してもらう。富良野の寺坂農園に行き当たる。早速電話をする。決意を感じた担当者は直ぐに社長の寺坂祐一さん(39歳)に取り次いだ。「瓦礫の片付けして、作物の作れない畑に立っているだけじゃしょうがない。このとんでもない出来事を逆にチャンスにしたい。北海道でメロンのこと学びたいんだとまっすぐにいわれて、この人は間違いないと思ったんですよ。農家だから技術も持っているし」と電話一本で採用を決めたことを寺坂さんが振り返る。櫻井さんは2011年4月1日、富良野に降り立った。大きくて美しい富良野の風景に圧倒された。

 

 

 

 

 

こつこつと接ぎ木した苗が定植の時期を迎えている「幸せでした。メロンが作れるんですよ。それが何よりも幸せでした。僕に接ぎ木を任せてくれたり(対病性などを考慮して台木を使用)するんですよ」。普通、余所者には絶対任せないと思って遠慮していたら「やったことあるんですか?助かったあ。はい、じゃみんな今年は櫻井方式でやりましょう。櫻井先生に教えてもらって」と信用されて預けられた。「なんて、でかい人物なんだと思いましたよ」。

 

一夏やり抜いた櫻井さんに寺坂さんと奥さんが提案する。「僕が畑を借りてハウスの資材を用意するから、農場を一つやってみないか」。寺坂農園はコードの書ける技術者を複数名、通年雇用して通販のシステムを構築していた。電話やメール、お手紙、ニュースレター、ウェブなどで、お客様とのコミュニケーションを大切にしながら作り上げてきた。「この仕組み」であれば、生産を増やしても販売できる確信を持っていた。櫻井さんが農場を一つ経営してくれたら、品質を落とさずに生産は二倍近くなる。

 

システムの担当者はこの農場で必要なシステムを作れば、全国の農家さんが使えるパッケージになるのでないかと夢を持って奮闘しているという。農業生産法人の寺坂農園がメロンの直売所をつくり、ダイレクトメールを使った通販を始めたころに、国内でもインターネットの環境が整いだした。現在は富良野地域で13戸の農家からアスパラ、タマネギなどの野菜を預かって通販にのせている。櫻井さんに農場一つをまかせることを皮切りに、食品加工部門やシステム部門の担当者にも独立した経営者になることを薦めているという。経営の中身をオープンにして経営者が育つ環境をつくる。宮城の農業青年のおかげで富良野に企業が増えてゆく。

 

寺坂農園
http://furano-melon.jp

 

(取材日:2012年2月1日 ネットアクション事務局 杉山幹夫)

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