皆に喜んでもらうために本物のメカジキを届けたい

唐桑半島の山腹に点在する勇壮な入母屋造の家屋を眺めながら、急勾配の細道を下ると小さな港が見えた。満潮が過ぎたばかりの防波堤は、沈下して一面がうっすらと濡れて輝いている。細道を振り返ると所々で道脇の石積や法面が津波で崩れている。

 

「遠いところからよぉ来たな。まぁあがって」。威勢良くも温かい声が聞こえた。この港すぐ近くの山付きに居を構える漁師の佐々木夫一(ゆういち)さんだ。佐々木さんは流網でメカジキ漁をしている。流網漁は網を固定せずに風や潮の流れまかせて魚を捕獲する漁法。その延長は12kmにもおよぶ。豊漁時には網を巻き上げるのに丸1日かかることもある。「眼はいいんだよ。魚がいると海の色が変わるのが分るんだよ。だから、他の船より先に網をおろせる」。その瞳は青い澄んだ色をしている。

 

 

漁師の佐々木さん自宅にて

佐々木さん

 

震災直後、漁船はすぐに沖に避難させた。「あと3分遅かったら駄目だったな」。気仙沼で揺れた瞬間に船を出すことしか考えていなかった。「正面からだと転覆すっから、普段大波を超えるときと同じように7分3分で斜めに波を乗り越えた」。長年の漁経験で波への対処が自然と身についていた。
漁港近くに保管していた漁具は津波で小屋ごと流された。漁師を辞めようとは一度も思わなかった。「震災で皆に応援してもらったから漁を頑張って恩返ししないと。海は恋人。いまさら陸の仕事はできねぇ。カモメはカラスにはなれねぇ」。その言葉に表れるように気仙沼の気質は陽気で前向きなのだという。

 

 

富田さん

漁を手伝う富田さん

 

佐々木さんの隣で話を聞くのはFIWC(フレンズインターナショナルワークキャンプ)という団体に所属する富田潤さん。FIWCは主に中国、フィリピン、インドネシアなど海外での被災地支援活動を行っている。富田さんはボランティアで訪れた唐桑での活動をきっかけに、日本での漁獲量減少や漁業衰退に危惧を抱き、「自分にも何かできないか」と佐々木さんを再び訪れ漁を手伝っている。佐々木さんの人柄が震災をきっかけとした出会いを現在まで繋いでいる。

 

「俺のメカジキを食べたら驚くぞ。他のとは比べもんになんねぇ」。誰よりも丁寧に魚を扱うからこその言葉。消費者が品質の悪いメカジキを食べて味を誤解されたくない。それでも現状では責任もって消費者まで届けるすべがない。セリで値段を決めて、あとは流通に任せるという仕組では本物のメカジキは届けられない。
「5年先、10年先のことを考えて自分が良いと思ったらやる。失敗を恐れていたら前には進めないから」。目視や勘が頼りだった頃にこの辺りで魚群探知機(ソナー)など船舶用機材を最初に導入したのは佐々木さんだ。震災後、支援に来てくれた人々と一緒に旨い魚を消費者に直接届けるための流通を作ろうとしている。電磁波により水の分子を動かし、氷点下でも凍らない状態で食材の味を格段にあげる『氷感技術』を使う。都市で真剣に販売してくれる仲間を捜しているという。販売者や飲食店などと折衝を始めたり、鎌倉等でイベントの準備がある。

 

「たくさん儲けようと思うから良いものが消費者に届かない。損を出すとやっていけないから、少しだけ儲けさせてもらって皆が喜ぶような仕組を考えたい」

 

 

俺のメカジキ

旨いメカジキを消費者に

 

※ページトップと最下段の写真は、復興支援メディア隊の石山静香さんが撮影したものを、ご本人の許可を得て掲載しています。

 

(取材日:2012年2月15日 ネットアクション事務局 山形信介)

 

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