松山市は多くの作家や俳人ゆかりの町としても有名です。「文学のまち」として代表的なゆかりある人物、作品について紹介していきます。

 

正岡 子規(まさおか しき、1867年10月14日〈慶應3年9月19日〉 ‐ 1902年〈明治35年〉9月19日)俳人、歌人。

松山に生まれ松山で育った正岡子規は、明治16年上京するもやがて文学者志望に転じ、俳句論の連載で注目を浴びる。明治28年、日清戦争従軍後、帰国途中に喀血。以後、永い病床生活に入るも、翌29年には三千以上の俳句を残す。

明治31年、「歌よみに与ふる書」を発表し、単価革新にものりだす。芭蕉や古今和歌集しついての自説を展開し、それらの全国的な再評価を喚起した。

また、子規は日本に野球が導入されたころの熱心な選手でもあり、明治28年に喀血してやめるまで続けていた。自身の幼名である「升(のぼる)」にちなんで「野球(のぼーる)」という雅号を用いたこともある。

◎代表作「獺祭書屋俳話」「歌よみに与ふる書」「病牀六尺」

 

『坂の上の雲』(司馬遼太郎・作 / 1968~1972年)

明治時代、俳句や文章を改革し日本独自の文学を形作ろうとした正岡子規。
日清・日露戦争において陸海軍の軍人として活躍した秋山好古・真之兄弟。
この3人の生涯を中心に、明治維新を成功させて近代国家として歩みだし、日露戦争勝利に至るまでの勃興期の明治日本を描く。

現在、松山市では「坂の上の雲ミュージアム」を開館し、松山出身の主人公3人の足跡や明治という時代に関する展示をおこなっている。

 

『坊っちゃん』(夏目漱石・作 / 1906年)

夏目漱石自身が愛媛県尋常中学校(現・松山東高等学校)に赴任し教鞭をとった1年間の体験を描いた小説である。松山市にある道後温泉にも「坊っちゃん」が入る様子が描かれていたりすることから、この作品は愛媛県松山市が舞台となっている。漱石は松山赴任時、正岡子規との交流も持った。登場人物の滑稽さや大衆的な作風から、漱石の小説の中でも最も多くの人に愛読されている。

松山市及び市民はこれを観光のひとつとしているほか、松山市内やその周辺部には「坊っちゃん」や「マドンナ」を冠した施設や商品が多数存在する。

・坊っちゃん列車 ・坊っちゃんスタジアム ・坊っちゃん団子 ・坊っちゃん劇場

坊っちゃん列車と道後温泉駅

坊っちゃん団子

 

このように、松山市はさまざまな文学や文学者と関わりがあることから、「文学のまち」と呼ばれています。正岡子規や高浜虚子など著名な俳人がいるため、松山市は俳句がとても身近なものになっています。

例えば、小中学校では夏休みと冬休みに俳句をつくる宿題が出たり、街中のいたるところに子規や漱石の俳句が記された句碑や誰でも俳句を投函できる「俳句ポスト」が設置されています。

 

〇リンク

子規記念博物館http://sikihaku.lesp.co.jp/