この薄い靄が晴れるように。。
ちいさいころ、浜辺を歩いていていつも見かけた鳥の羽。
なぜかいまも。。
ちいさいころの疑問がいまも。。
イタンキはやっぱり浜。
この砂浜の広さが子供の心には世界を感じた。
このテーブル状の波が楽しい。
見ていて時間を忘れる。。
イタンキの波はときに荒々しく、曳くときには立っていられないほどに足元の砂を持ち去っていく。
昔は無粋なテトラポッドなどなく、海の広さを感じられたものだが・・・
波と砂は芸術家だ。。
風も加わって湿りと乾燥のコントラストが美しい。
ふと気づくといつのまにか自分がそこに。
外套の中にはいまでもあのころの自分がいる。
泳いだあとは身体を温めるのにねそべった砂の上。
どこまでも続く迷い込むような錯覚に引き込まれる。
昔の砂浜はこうだった。
蹉跌を採っていかれるまでは砂浜は黒いものだと思っていた。
夏の砂浜は陽射しに焼かれて歩いては波打ち際まで行けない。
とにかく飛んで跳ねて太平洋に漬かる。。
こっちは冒険エリア。むかしのイタンキが残っている。
こっちを進むと波が、岩が待ち構えている。
今日はどこまで征服できるのか。。
あのローソク岩のほうへは緊張感がただよう。
岩を伝って、潮が満ちる前には戻らなきゃ。。
こんなところに基準点があったとは。自分が基準になったような気がする。
ひと山越えたら工場群。こちらは煙が人の営みを感じさせる。
子供のころはお祭りでカンナの氷水がお気に入りだった。少ない露店が出たもの。。
水源池とは知らなかったが、小さな穴をもぐって中に入るとでっかい蛙がいっぱいいた。
あのころは蛙・カナチョロ・ヘビが遊び相手。
トラバサミで鳶を狙ったり、焼き鳥屋へ売るスズメ採りの年長について歩いたもの。。
子供のころはこの町が世界。
手前の柏木町から山を伝って向こう側の大沢町まで行くのも大冒険。
水筒を持ち、途中の畑で大根、ニンジンで腹ごしらえ。
こんなに人影が消え、大きな道路ができるとは夢にも思わなかった。
でもきっといつかこの町の価値を見出して人の賑わうときが戻ってくると信じている。この薄い靄が晴れるように。。
《 写真・文:倉地清美 /編集:高山幸子》
2015.3.26
いざ、冒険へ・・・
「写真と文章を載せたので編集よろしくね。」と、倉地さんからご依頼を受けまして・・・。
今朝、記事を読ませていただいてから、イタンキ浜へ行ってきました。
今日はとってもお天気が良く、お昼時だったことも重なってか、車がたくさん停まっていました。
みんな、イタンキが好きなんですよね。
倉地さんのイタンキを想像しながら、車を降りて砂浜へ。
子供の頃の倉地さんと一緒に冒険した気分になって、このページを編集させていただきました。
(2015.3.26 sachiko)
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