「室蘭のうつりかわり」(室蘭市史編集室 1977年)という本の中に「ユーカラにのこるプロビデンス号」という節がありました.

プロビデンス号のブロートン船長は「ブロートンの探検航海」という著書のなかに噴火湾や絵鞆(室蘭)での出来事などを記述しています.

いっぽう,こちら側のアイヌや和人の側からみた来訪時の様子や顛末が,ユーカラという叙事詩の中にみつかり,驚きと喜びを感じました.

pp.58 から引用

「礼文華からチパドイエニ川に水汲みにきたところをベンベ(豊浦町)の酋長にみつかり”無断で木を切ったものに水はやれぬ”と断られ、虻田沖まできてイカリをおろした。

 会所の役人が、虻田の酋長のところへ来て戦争になる前に早く船を沈めろというので、毒矢と大槍をもって浜に集まり、二列、三列になって進み、赤人船に毒矢を向けた。船では陸に向かって手をすり合わせ大声で泣いているのが見えた。

 沖の船から小さい舟が二、三隻波打ちぎわまできて酋長の前で泣きながら何日も飲まず食わずに追われている。米でも、菓子でも、酒でも、布でもたくさんやるから、どうか助けてくれといった。酋長は船長に会わねばわからないと五、六人の仲間をつれて本船へ行った。そこで日本人通詞の通訳で、水と酒、菓子、布とを交換する約束をして水汲みを許し、手伝いもした。水を汲んで安心した外国船はオタモイの岬をかわして下の方へ向かって姿を消した。

 安心した酋長は、浜に積まれた米だの菓子だの、いろいろな物を家の前に運ばせて分け合い、その夜は楽しい酒盛りで歌ったり踊ったりした」

勝手に木を切り出したブロートン達を,アイヌは当然助けなかった.人数や,ブロートン達が数日食事をろくにとっていない状況を考えれば,戦って船を沈めることも可能だったかもしれません.

しかし,命も危ない状況であることを船長から直接聞き,船を沈めるどころか,結局外国人達が水を汲むのを手伝ったということがわかりました.