”室蘭フェリーターミナル””室蘭航路” について知っていることをぜひ教えてください
 

室蘭フェリーターミナル復活を検討!!

2015年1月にみなさんと一緒にフェリー室蘭航路の復活を願う話をしていたら、その約2ヶ月後、川崎近海汽船が宮古港(岩手県)と室蘭港を結ぶフェリー航路を2018年春に向けて検討を始めていると発表しました!私達の想いが届いた明るい報道に心打たれ ました。またあの煌びやかに輝く港へ帰蘭できると思うとワクワクしています。
本当に実現したならば室蘭はどう変わるか、企業・人・観光・流通・・・室蘭の未来が楽しみです。そして、この実現のためにどれだけの人がどのような努力してきたのか、関わったすべての方に感謝してその努力を知り、私達もいまからでも出来ることはないのか考えて行きたいと思います。(2015.3.10 sachiko

株式会社川崎近海汽船のニュースリリース

3年後はこうなっているという願いを込めて・・・・「室蘭/宮古フェリー航路」
 



 

 

2008年11月30日最後のフェリー就航でした。
折角耐震護岸を完成させた翌年か?翌々年?の出来事でしたよね。現在、青森へ行くのに函館まで行くか、苫小牧〜八戸で北上するか、せめて苫小牧〜八戸、室蘭〜青森なる住み分けはできないものでしょうか?
これだけの港を持つ室蘭、海上からの人の流れを断つのはもったいない。(2015.1.13 齋藤 圭司

 

 

 

 

 

 

 

 

びなすだあ!!
以 前ここでフェリーに携わる仕事をしていました。新しい船や港ができる度に営業準備の為などで色々な港へ足を運んでいました。岩内、苫小牧、函館、青森、大 間、大畑、仙台、大洗・・・そして小笠原諸島へも。どこの港へ行っても驚くことは、港がひっそりと暗いこと。室蘭港へ帰って来るとなんて煌びやかやな素敵な港 なんだろうと、そして室蘭を離れて数日しか経っていないのに、この港へ帰ってくるとものすごい懐かしさと安心感がありました。毎日、海と船を見ていた頃を 懐かしく思い出しました。このフェリー達は私にとって友達みたいなものなんです。新造船が出来てどっくで検査を受けて、営業準備を始めて、長い月日をかけ て就航する晴れ舞台の瞬間がドキドキ、ワクワク!大好きでした!
(2015.1.13sachiko

僕も同感です。他の港にはない利便性は全国屈指と自負しているのに、使い方、利用価値への温度差でこんなに良い港を眠らせていると思います。(2015.1.13 齋藤 圭司

懐かしいですね以前千葉県に居た事があり登別の実家に帰省するときに千葉県から車で首都高から東北道に乗り八戸ICで降りて室蘭港まで東日本フェリーで帰りました、復路もフェリー使って千葉県に帰りました^_^、今でも設備が残ったままですが勿体ないですよね。(2015.1.13 Tetsuya Kimura


毎年、GWや夏休みになると多くの旅行客がやって来て、ターミナルの中はごった返しになって…。大晦日には地球岬沖にいく初日の出ツアーもありました。(これ、お手伝いしなきゃいけないから当時は辛かった思い出も)あと、年末に室蘭港から出発でお正月小笠原諸島で過ごすツアーもありました。新しいターミナルビルが完成した時は、それはもう嬉しくて嬉しくて!プレハブ事務所がオフィスに、食堂はレストランに生まれ変わったんです!(2015.1.13 sachiko

なんとか観光期間や繁忙期だけでも就航してもらいたいです。
船の名前も覚えていないしカメラにも全く興味のなかった10年以上前の画像が出てきました。この航跡の広さと高さを見るだけでもワクワクしたものです。
(2015.1.13 齋藤 圭司

通年でいろんな人が訪れる街にしたいですね。
室蘭に来たついでに登別や洞爺で温泉につかる・・・・という感じ。

てつまち、ものづくり、だけじゃないんだよ。
ここには「ひとづくり」をする行政や企業、小中高校、大学があり、そして素敵な出会いがある・・・・みたいなね。
交易場から始まって約400年、アイヌの人々が雄大な自然や動植物を敬い、それを守り継承してきた地元住人のおかげで、今も地球規模の壮観と美しさを肌で感じられる、そんな魅力満載の「モ・ルエラン」
ひとりひとつ、いい店、いい場所、いい人などのキャッチコピーを考えてみたらいいんじゃないですか。多くの言葉を費やすことで効果が上がるものがある一方で、映像と最小限のコメントで訴求できるポテンシャルが室蘭にはあると思います。(2015.1.13 鈴木恵一

子 供の頃、内地に家族旅行に行くときはいつもフェリーでした。大洗航路、八戸航路、直江津航路に乗ったことがあります。フェリーで室蘭港に帰港する時、海か ら見る測量山のライトアップに、帰ってきた安堵感と、旅が終わる寂しさを子供心に感じていた記憶があります。僕は乗ったことがありませんでしたが、青蘭航 路は明治26年から続く歴史ある航路でした。せめてこの航路だけでも、小型船でいいので復活して欲しいですね。(2015.1.13 山田 正樹

高校生の時、夏休みにフェリーの厨房でアルバイトしました。
何て言うフェリーだったかな…。滅多に下船しなかったので、たまに上陸すると陸が揺れてましたねw

社会人になって千葉県に就職し、正月休みに初めて帰省した時は大洗-室蘭航路を利用しました。恐らくそこで水ぼうそうに感染し、正月明けに長期間会社を休む羽目にw
3年前、千葉から室蘭に出戻った時は大洗-苫小牧航路に車を積んで来ましたが、「帰ってきた~」という気分的には、室蘭に上陸したかったですね…。
普通にサラリーマンをしていると休日に制限があるので、日程的に飛行機を使わざるを得ないことが多いですが、船や鉄道での移動は単なる移動手段ではなく、それ自体が「旅」って感じの趣がありますよね。
フェリーが無くなり、北斗星などの寝台特急も廃止になると、趣のある旅がますます遠のきそうです…。
(2015.1.14 荒瀬 宗之

八丁平にあった室蘭商業高校は、港を一望できる絶好のビューポイントでした。特に、最上階の4階にある1年生の教室だと、内浦湾の出船、入船の様子が見え、授業に身が入らない生徒は船がゆっくりゆっくり航行している姿をボーっと眺めているわけです。
天気がよければ遙か彼方に駒ヶ岳もくっきりと見えました。

まだ白鳥大橋もない時代、測量山や工場群を見下ろしながら、その向こうに広がる青い海を眺めることのできる環境は、室商に入学して1か月もすれば当たり前の光景になってしまうのですが、それでもやっぱり、ホットとする眺めでした。
教壇に立っている私も、いろいろな説明をするうえで何かを考えたり思い出そうとして無意識に窓の方に目をやると、視界に室蘭港が飛び込んでくる。思わず見入ってしまうわけです。
外を眺めて沈黙する教師。口を開けば、「ああ、今日も海が綺麗だなぁ」と。案外、効率の悪い授業をしていたかもしれません。そんな呑気でずさんな授業を受けなければいけなかった生徒の高山幸子 は被害者とも言えます。
(2015.1.14 鈴木恵一

(撮影 齋藤 圭司


写真:中村敬子さん

2018年3月、フェリー就航まであと100日ほどです。「宮古行き」の看板も既に登場しています。

Foundationへ戻る

Front Pageへ戻る