桜ヶ丘幼稚園(増市町) について知っていることをぜひ教えてください

「こーんにちは なかよしさん~♪
お日様にっこり丘の上~♪
ぼ~くとわ~た~しの桜ヶ丘幼稚園~♪
レッツゴー♪ レッツゴー♪ レッツゴーゴー♪」
 

 2008.11 移転した年

昭和39年10月 楢崎桜ヶ丘幼稚園として創立
室蘭市増市町1丁目8番地
創立者:楢崎造船社長の水田正氏

昭和63年4月 学校法人「ならの実学園」桜ヶ丘幼稚園として認可
(楢崎造船から分離独立)

平成20年4月 港北町へ移転
室蘭市港北町2丁目26番30号
港北幼稚園は桜ヶ丘幼稚園へ移管


桜ヶ丘とは
幼稚園の背後にある丘のこと
手前には小川が流れている

緑多い丘陵は桜ヶ丘の森と呼ばれ
前庭を走り回る園児の声と
小鳥の囀りが響き渡っていた

最後の年となった平成20年3月
33名の卒園生を送り出し
延べ卒園生は2,137名となった


楢崎桜ヶ丘幼稚園として開園された時代

僕が入園した当時(昭和40年代の始め)
まだ造船業の好景気は続いていたのだと思う
港南町や増市町は楢崎関連の社宅や寮が連なり
営林署などの官庁関連の社宅も多かった
隣接する小橋内町でも国鉄官舎のさらに上の方へと
山肌を削り、新興団地の造成が進み
労働力の定着とともに所帯を持つ者が増え
必然的に地域一帯の子供たちは急増した

僕の家から一番近い幼稚園ではあったが
一山越えなければならなかった
今のように送迎バスのある時代ではないので
確か、二人一組以上か、単独の時は途中まで親が見送り
雨ニモマケズ風ニモマケズの徒歩だった

山道とは言っても
途中のほとんどは段々畑のように家が建っていて
生活路となっていた坂道には
比較的立派な木枠で造られた階段が
各駅停車の線路のように続いていた

春は階段脇まで溢れ出た民家の庭花に蝶が飛び交い
夏には頭上を覆うような大木から蝉の大合唱
秋には階段の木の部分がトンボ集団の一大休憩所となり
ドングリやトチノミが転がりはじめるともう冬は近かった

幼稚園の行き帰り
道草禁止と知りながら
友達と虫や木の実採りに
ついつい夢中になる時があり
なぜか幼稚園の先生の知るところとなって
度々、注意されたのを覚えている

実は、その大きな階段の位置は
ちょうど幼稚園の教員室の真向い辺りに位置していて
数百メートル先とはいえ
先生方には丸見えだったのだと思う

矛盾するようだが
僕らが安心して道草ができたのは
視野のどこかで幼稚園の存在を確認していたからかも知れない

今思うといつも気にかけて見ていてくれたのだという
ありがたい気持ちになるとともに
これ以外にも何かと心配をかけたわんぱく行動が
先生方に申し訳なく、ただただ感謝の思いで胸が一杯になる

記憶の彼方
園庭から見上げた時の空はどこまでも青く
陽に照らされた僕らの園児服の青は
それよりちょっとだけ眩しかった気がする

(投稿者アマノヒロアキ2015.1.17)


2008.11 移転した年の状態2015.1の状態 sachiko2015.1の状態 sachiko


移転先となった現在の「桜ヶ丘幼稚園」は
昭和49年に室蘭市立港北幼稚園として開設されたもの
(幼稚園としては唯一の市立だった)
平成19年、少子化や老朽化などの課題から
市教委が平成19年度末廃園を打ち出したが
同地区唯一の幼児教育の場として
同園保護者や港北地区町民を中心に存続を願う署名や要請もあり
平成20年、桜ヶ丘幼稚園が移転して引き継ぐこととなった 

 


 

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