「海洞」の概略 について知っていることをぜひ教えてください

「海洞」は室蘭と東京を主な舞台として、明治から昭和の高度経済成長の時代を生きた人々が登場する小説である。2006年9月15日出版

海洞という言葉は、室蘭出身の著者三浦清宏氏による造語ということである。アイヌはこの海洞をアフンルパロとよび、この世とあの世を結ぶ通りみちと考えていた。600ページにも及ぶ長編小説なので、すべてを網羅することはここでは不可能だが、その概略の紹介を試みてみる。

全体は第1部 武林写真館、第2部 栄枯盛衰、第3部 海洞の契、の3部に分かれている。第1部は主に室蘭とその自然が舞台である。第2部は東京が主な舞台と成る。第3部では東京で生き方を見失った主人公清隆が母の供養のために室蘭にもどるが、美しい海が人々の人生を翻弄する。

第1部 武林写真館

大浦清隆が10年のアメリカ留学から戻り、室蘭の武林写真館を訪れる。いとこの武林孝男に室蘭の景勝地や海洞(アフンルパロ)を案内される。昭和30〜40年ごろの室蘭のようすが描写されている。孝男は、室蘭は鉄だけの街ではなく、美しい自然が工場群と同居している街であることを、清隆に悟らせる。

海洞を訪れる際にアイヌの坂下澄江にも出会う。海洞には清隆の母、貴代子が遺した観音像が置かれていた。

清隆のアメリカでの10年間の苦労や、親友ジム・ハワードとの出会いや、清隆とジムのエピソードを通して自由や民主主義のアメリカンスピリットが描写されている。

第一部からの抜粋

 

第2部 栄枯盛衰

南原徳蔵(清隆の母方の伯父)の辿った経歴を通じて、昭和前期の大東亜戦争に向かっていく日本の社会が描写されている。後世からの歴史としての昭和前期ではなく、人々の暮らしぶりや考え方に則して当時の状況が描写されている。

徳蔵の家は、彼自身が望んだことではないが、2.26事件を起こした青年将校たちの拠点になった。

徳蔵はインドのガンジーの弟子、マヘンドラ・プラタプと交流し、大東亜戦争によって欧米によるアジアの植民地支配からの脱却と、世界連邦の理想を求め行動した。東京に居たプラタプは短波ラジオや無線機によって世界状況を把握し、戦争の早い段階で日本の敗北を予測していたが、アジアを解放しようとした日本の行動を評価していた。

清隆の母、貴代子が大浦隆治と結婚する事情や清隆の誕生や幼少期が描写されている。

 

第3部 海洞の契

東京の徳蔵の家に居候する清隆は、徳蔵の支持者の会社、黒川プロダクションの総務部長となる。いきなりの抜擢であった。昭和の高度成長期の日本の様子が歴史としてではなく、そこで具体的にうごめいた野心家たちの姿として、描写されている。

さまざまな女との清隆の出会いや別れ、そして徳蔵の息子、徳太郎の出生の秘密などの人間ドラマが展開される。

アメリカの親友ジムは、教師をしながら山の上を開拓し理想の生活を自力でつくろうと奮闘していたが、突然病死してしまうという悲報も舞い込んだ。

清隆は、社長の黒川の強引なやり方に同調できず、会社を辞め千葉の山奥で8日間の断食をする。体調は以前よりも悪化してしまうが。。。

早世した母貴代子の墓をつくるために清隆は室蘭に戻るが、そこには美しい自然を舞台に思いもよらない事件がまっていた。

(2015 10.28 Yasushi Honda)

 

 

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