1878年(明治11年),英国人女性,イザベラ・バードは北日本・蝦夷地を旅し,室蘭にも立ち寄っている.
彼女が日本をはじめてみたのは,その5月に江戸湾に船に乗って入ってきた時のことだった.イザベラが富士山をはじめて目にしたときの「日本奥地紀行」のなかの記述を少し引用してみる.
「甲板では,しきりに富士山を賛美する声がするので,富士山はどこかと長い間さがしてみたが,どこにも見えなかった.地上ではなく,ふと天上を見上げると,思いもかけぬ遠くの空高く,巨大な円錐形の山を見た.」
という記述がある.これは,私自身がうまれてはじめて富士山を目にした時とまったく同じ状況である.あまりにもかけ離れて突出しているので,山並みを目で追っても富士山は目に入らないのである.
(撮影 成岡 勲 さん 場所 : 静岡市清水区 清水港 2015年11月05日)
当時47歳の彼女は病気がちで,旅に出て身体を動かすことを医師に勧められたということもあって,はるばる地球の裏側まで来たのである.北日本旅行の目的を「科学的調査」ということで明治政府に許可をとっている.「科学的」と言う割には,「美しい」とか「醜い」などという主観的な記述が多く有り,客観的な視点を持っていたのかどうか,わたしは多少疑わしく感じていた.
科学的な記述と言うよりは,正直な記述と言ったほうがいい
たとえば,はじめて見る日本の街並みについて,
「そのすべてが家庭的で,生活に適しており,美しい.勤勉な国民の国土である.雑草は一本も見えない.」
などと,賛美している部分もあるかと思えば,当時の日本人の容姿については
「街頭には,小柄で,醜くしなびて,がにまたで,猫背で,胸は凹み,貧相だが優しそうな顔をした連中がいたが,いずれもみな自分の仕事を持っていた.」
という第一印象を述べてある.大柄で,脚はまっすぐに長く,背筋が伸びて,胸を張っているのが美しく,その逆は醜いという主観を正直に表している.現代のわれわれが,タイムスリップして明治初期の当時に降り立ったとしても,おそらく同様の印象を受けるであろう.
身長の統計を取ったわけではなく,脚がどれくらいがにまただったかを数値化したわけでもないので,とうてい科学というにはおよばないかもしれない.しかし,そこには精一杯の正直さを感じる.
しばし,彼女の目を借りて,明治初期の日本を旅してみたい気持ちになった.
(CC BY-SA 2015.12.14 Yasushi Honda)
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