ふれあい公園は、港北町2丁目にある街区公園です。ホームストア港北店の裏にあります。
「公園用地」だったころ
新日鐵港北社宅が取り壊され、長らく荒れ地だったこの場所が宅地として造成され始めたのは昭和60年頃から。
最初に造成されたのがここ、港北町2丁目の7番地・8番地・9番地でした。そんな中でこの場所は「公園用地」として、造成当時から土地だけが確保されてました。
まだ公園ではなくて。遊具もベンチもない、ただの野原。ただの広場。
でも、夏はラジオ体操、秋はお祭りと、町会の行事は全てここで行われてたんです。
普段は挨拶を交わす程度の近所のおじさん、おばさんたちが、ラジカセを持ち込んでラジオ体操をしてくれたり。テントを立てて手作りの夜店を出してくれたリ。
どのおじさんも、どのおばさんも、みんな自分の子供のように、僕たち地区の子供たちを可愛がってくれました。
お祭りの時にここで食べたやきとりの味、おでんの味。忘れられないふるさとの味です。
この地区に住む人たち、みんなのふれあいの場所だったここは、いつしか「ふれあい広場」と呼ばれるようになってました。
公園として整備される
この「ふれあい広場」が、正式な公園として整備されたのは平成になってから。確か平成2年か3年の頃だったと思います。
それまでこの地区に公園は無かったですから、ちゃんとした公園ができるということで、僕ら地区の子どもたちは、それはもう楽しみにしてました。
そうして生まれたのがここ、「ふれあい公園」なのです。
工藤仙二さんの歌碑
この公園にはもう一つ、大切なものがあります。それが、工藤仙二さんの歌碑です。
この歌碑は、かつて港北社宅に住んでいた工藤仙二さんが、庭から掘り出した石に自作の歌を彫り上げたもので、
かつてはこの場所ではなく、港北幼稚園に向かう坂の下のところ、小さな三角広場にありました。
その三角広場は、社宅が無くなったあともずーっとそのままで。誰も住まなくなった場所にこの歌碑だけがぽつんと建っていたのを記憶しています。
そんな、誰からも忘れ去られていたこの歌碑を、きっと誰かが覚えていてくれたんでしょうね。
この場所が正式な公園として整備された時に、ここに移設されたんです。
愛の鐘 朝な夕なを鳴りわたる 鐘にくらしをあわす人たち
歌碑にはこんな歌が刻まれてます。
社宅に暮らす人たちの素朴な日常が目に浮かぶようですよね。
この歌碑は港北町民の、そして、かつての港北社宅住民にとっての大切な宝物だと思います。
これをここに大切に保存してくださった方に心から感謝したいです。
[2015/01/30 山田 正樹]
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