中国から台湾、そして日本へ


1930年代、アメリカ合衆国ミネソタ州にある聖ベネディクト修道院から6名のシスター(修道女)が中国の北京へ福音宣教へ出かけられました。そしてイエズス会の経営する大学のお手伝いをしていましたが、1950年代中国共産主義の台頭により、キリスト教は弾圧され、シスター方は台湾に逃れられました。

その後シスター方は本部修道院からの指示でアメリカに帰るように言われますが、アジアでの宣教活動を希望された2名のシスターが横浜の港に来られます。そして、北京で覚えられた中華料理をアメリカ進駐軍の兵隊の妻たちに教え、好評を得たそうです。

 

 

東京から北海道へ 


1952年、東京都麻布を本拠地としてシスターたちは、料理や音楽を通して福音宣教を行ないました。この頃、本校の初代理事長であり校長であったシスターベネディスが来日されます。そして、故郷のミネソタと気候の似ている北海道を次なる宣教の場に選び、1957年夕張市へ修道院を設立されます。

1960年代、日本は中学生の数があまりに多く、高等学校が不足していました。そして、その当時鉄鋼で栄えていた室蘭市から女子教育の要請を受け、1961年(昭和36年)に「室蘭カトリック女子高等学校」を開校する運びとなりました。

 

 

室蘭カトリック女子高等学校・中学校 


「ユートピア牧場」と呼ばれ、牛や羊が草を食んでいた高砂町の丘に室蘭カトリック女子高等学校は始まりました。当時、コンクリートの西洋風の校舎は大変珍しかったそうです。本館が建てられた2年後には体育館、そして修道院(現マリア寮)が完成しましたが、この地域は地盤が弱く、土台となる杭を打ち込むのに苦労されました。1965年には第二代校長としてシスター・オリビア・フォスターが就任されます。本校の2年生は、毎年修学旅行でミネソタを訪れるたびにシスターにお会いして、当時のお話を伺っています。

 

 

男女共学になり、海星学院高等学校へ


室蘭カトリック女子高等学校として始まった学園は1991年に聖ベネディクト女子高等学校と校名を変え、1961年から2003年3月まで一貫して女子の高等学校教育を培ってきました。

そして、2003年4月に男女共学を開始し、校名を海星学院高等学校へ変更しました。聖ベネディクト修道会の精神を中心とするカトリック教育は創立から半世紀に亘って、北海道室蘭の地に受け継がれています。

また、今年はバスケットボール部が「全国高校総体」に出場し、本校の名前が全国レベルへと大きく飛躍する年になりました。

 

 

シスター・レナータ森治子さん 


1950年(昭和25年)、アメリカに渡られたとき、日本はまだ米軍の占領下にありました。シスターは、横浜から貨物船に乗り、何週間もかけてサンフランシスコまで行かれたそうです。そして鉄道とバスを乗り継ぎ、ミネソタの修道院にたどり着かれました。

そして、5年間修道女になるための準備をされました。室蘭カトリック女子高等学校として始まった学園は1991年に聖ベネディクト女子高等学校と校名を変え、1961年から2003年3月まで一貫して女子の高等学校教育を培ってきました。

そして、2003年4月に男女共学を開始し、校名を海星学院高等学校へ変更しました。聖ベネディクト修道会の精神を中心とするカトリック教育は創立から半世紀に亘って、北海道室蘭の地に受け継がれています。

また、今年はバスケットボール部が「全国高校総体」に出場し、本校の名前が全国レベルへと大きく飛躍する年になりました。

 

 

聖ベネディクト女子修道院訪問 


6月19日、私たち聖書研究部の部員は、水元町にある「聖ベネディクト女子修道院」を訪問してきました。そして、本校の第四代理事長 シスター・レナータ森治子さんと、現在修道院の院長を務めておられるシスター・マルタ上田若子さんから、本校の創立と創立以前の修道会についてお話を伺ってきました。

今年2015年は、聖ベネディクト女子修道会が来日して65年の節目の年だそうです。本校2年生が修学旅行で訪れているアメリカのミネソタ州からシスター方がどのようにいらしたのか、伺ったお話をまとめてみました。