マンチェスターの丘で大石さんと出会った について知っていることをぜひ教えてください

草を刈る大石さんとであいました

 

この丘だけ、草丈が低いわけがわかりました

 

輪西の街を守るように聳えるみゆきの丘。ミヤコザサの群生する見晴らしのいい草原。太平洋と室蘭、輪西の街、製鐵所を見渡せる。ここに標高100メートルの小高いピークがあり、そこだけ草丈が短く、丁寧に手入れされているのがわかる。そして、そのピークに向かう幾つかの小道がやはり丁寧に草刈りしてある。


ある朝、鎌を持つ大石さんに出会った。

大石さんは、20年程前にみゆき町に越してきて以来、ずっと、この丘とイタンキから、大沢へ抜ける草原の道を小さな手鎌一つで刈り続けてきた。

「平(たいら)がさ、あいつ、力があるから、ここに小さなホテル作れよって俺、ずっと言ってたんだ。俺が草刈るから。いい道だから、遠くから来た人にさ、見せてやろうよってね。死んじまいやがって」と輪西の商店街で長く活動されて、最後は観光協会の会長を務められた平さんの思い出を語ってくださった。70歳で亡くなった平さんよりも大石さんは先輩だ。

大石さんは石狩国と天塩国を分ける塩狩峠の近くの農家で生まれ育った。体は小さいけど頑強だ。10代のうちに登蘭。楢崎産業に勤める。「当時の国鉄の奴らはね、生意気でさ、タバコでも、酒でも付け届けしないと、仕事してくれないんだよね。でも、物やれば動いたからまあそうたちが悪くもないかなあ。ガハハ。僕らは日雇いのおばちゃんたちと、貨車から荷物下ろすのもさ、機械でやれば済むことを随分手でやったんだ。でも体動かして、たっぷり働くと気分がいいんだよな」と笑う。

「マンチェスターの丘」の草を刈るのは、パラグライダーのお兄ちゃんたちのためなんだそうだ。

「ここをさ、駆け下りる時にな、蔓とか絡んだらまずいだろ。だから走りやすいように刈っといてやんだ」

「また会おうや、この道楽しんでください。気いつけてな」と僕らを大沢方面に送り出してくださった。