モロランから室蘭へ、松浦武四郎 について知っていることをぜひ教えてください

「室蘭市発行の室蘭のうつりかわりによると、武四郎が開拓使に上申した国名由来書に室蘭郡室蘭村と公式文書に初めて登場したと書かれています。
但し振り仮名は、モロランです。
ムロランとなったのは明治13年か15年で相当期間ムロランとモロランを併用していたようです。

ちなみに胆振は武四郎ですね。」

仲村利光(2018.6.16)

ということは、「モロラン」というアイヌ語の発音の地名に、武四郎が「室蘭」という漢字を当てはめて、「モロラン」と読ませていた。

時間が経つにつれて、漢字の読み方通り「むろらん」という読み方に変遷していったということになりますね。

ちなみに現在の室蘭駅周辺は、どちらかと言うとエンデルモと呼ばれていた地域で、それが現在の絵鞆という地名にも残っている様です。

Enderumoという表記は1796年のブロートン航海紀にも出てきます。絵鞆側を現在の室蘭市の中心とするのなら、武四郎の上申書が「室蘭郡絵鞆村」だったとしても不思議はないですね。武四郎の描いた東西蝦夷地図にも室蘭の位置に「エトモ」とあるそうです。