《八丁平は丘の街》 について知っていることをぜひ教えてください。

室蘭市の八丁平は、100mの台地にあります。

『地球岬展望台』からも『測量山』からも『道の駅みたら』からも『太平橋』からも、室蘭岳方面をながめるとよく見えます。

名前の通り一見「平ら」なようですが、ほんの少し室蘭岳方面に向かって上っています。

中央通りバス停の南公園入り口にある『八丁平中央町会会館』の海抜は「127m」、約2km山寄りにある『八丁平小学校』の海抜は「146m」になっています。

ほんの少しの傾斜ですが、散歩すると上りはちょっと疲れ、下りはスイスイです。(2015/H27/11/11 nasuikuo)

昨年(2014/h26)完成の八丁平中央町会会館は127m 1997/h9創立の八丁平小学校は海抜146m

◆八丁平の地質は、「数億年から数千万年前にわたって海底に堆積した火山性堆積岩でできており、その中に地下から火山性溶岩が貫入(かんにゅう)し、

 そのエネルギーによって隆起した」(文献 ・新室蘭市史 第1巻 ・八丁平中央町会創立40周年記念誌『あゆみ』)とのこと。

 さらに室蘭岳から伸びるゆるやかな丘陵が八丁平地区。

 「全体が火山性噴出物でおおわれているので、室蘭岳方面の古火山によるものと思われる。すでに地形が丸みを帯び、老年期を迎えている。」

 お向かいの絵鞆半島ができる以前の超大昔のお話だそうで、こうして八丁平のなだらかな傾斜ができたんですね。散歩も楽です。

 

◆さて、かなり最近?の話題をひとつ。

【2009年8月15日の新聞記事(室蘭民報社)】

『八丁平5丁目で6000千年前~4000年前の縄文土器出土。数センチ~10センチ四方の土器片30点。

高台では初めての貴重な遺跡。この地域は、鹿狩りの拠点だった可能性がある。』

 

◆現代も鹿さんの散歩はよく見かけますが、6000年前から八丁原野は鹿の楽園だったんですね。

縄文人たちが、けもの道みたいところを登ってこの高台に来ていたようです。

その頃は、今より温暖な気候で、海もかなり内陸まで入り込んでいたとのこと。

ということは、八丁平の丘の崖下は、すぐ波打ち際だった?

写真ペイントしてみました。ロマンチックな空想画です。

縄文人も見た!室蘭八景は6000年前はこんな感じかな?      (5丁目「オパール」前道路から撮影・ペイント)

                                                                                (2015/H27/11/19 nasuikuo)

 

【縄文人はどのルートで丘を登ったのか】その1「天神町から尾根を回り込んで」の巻

◆6000年前の海岸線は、温暖化のために現在より内陸に入り込んでいたようで、実際「イタンキ浜にあるビオトープ池付近には、海抜3~4mの地点に縄文海進の跡が発見されている」(NPO法人ビオトープ・イタンキ)とのこと。

縄文海進で内陸まで海が入り込んでいた時代の縄文人が、どのルートで八丁平の丘をめざしたかを、まず一番内陸側から探索してみましょう。 PHO① 知利別町遠望 6000年前は海岸線が内陸まで侵入 PHO② 尾根のカーブにそって続く車道 大昔はジャングルかな
 

PHO③ 谷向こうに八丁平4丁目の家並みが見えてくる PHO④  中島本町からの道道と合流して道路は終了

◆尾根を横切ってのこのルート。しかも現在は車道があるものの当時はけもの道もあるかどうかの自然環境。

  縄文人にとってもたいへんなルートと推測した次第です。

 

【縄文人が来た丘  「過激ワイルド自転車丘登り編」 & 「朝散歩編」のご紹介】

 

 

 

←◆WIKI仲間のレポートがあります。

   こちらもごらんください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

◆雪が降ってきました。

 縄文人の道探検は春までまっていてください。

 それではよいお年をお迎えください。 

(2015/H27/12/26 nasuikuo)