噴火湾と鯨 について知っていることをぜひ教えてください

まるで絵を見ているようだ.....。

これは200年前、噴火湾で潮を吹く多くのクジラを見た時の北海道探検記録に残された言葉である。現代でも使われるこの噴火湾という呼び名は、イギリスのプロビデンス号ブロートン船長が名付け親で、その航海日誌には、噴火湾でたくさんの大きなクジラやイルカと遭遇したと記されている。この航海日誌が噴火湾でのイルカやクジラ類についてのもっとも古い史実的記述らしい。噴火湾に毎年来遊するレギュラー陣は、ネズミイルカ、イシイルカ、カマイルカ、ミンククジラ、シャチ、コビレゴンドウの北方型(タッパナガ)、ハンドウイルカの七種類だ。

 

噴火湾にクジラが生息する理由

海洋生態系の高次に位置する鯨類が多数現れる背景には、寒暖流の動き、湾を囲む地形、日本海と太平洋をつなぐ津軽海峡の存在などの絡み合いが生み出した複雑な環境がある。

 

室蘭と鯨類の縁

室蘭のシンボルとして有名な鯨、少なくとも40年ほど前までは食料品としてもとてもポピュラーで、今では高価でなかなか手が出ない鯨のベーコンなども、ごく日常的に食卓に乗せられていたと私自身も記憶している。もっと古い時代を遡ると、明治末期から昭和25年(1950年)までは今の室蘭水族館の場所に捕鯨会社があり、とても繁栄されていたとの記録が残されてもいる。また、室蘭八幡宮は、浜に打ち上げられたクジラを売った代金を造営費用に充てていたことから「鯨八幡」という愛称を持っているそうだ。

 

食料から心を充たすものへの変革

クジラはご存知のように、そのものを食す他、マーガリンやショートニングの材料とされたり、ビタミン各種の栄養素を豊富に含むことから肝油の原料とされます。また、クジラの油でも食用に向かない部分はワックスやエステルなどを含むことから工業用の油として世界中から重宝がられて来た歴史があります。また、火薬や石鹸などに加工される場合もあり、クジラは捨てる部分がないとまで言われる生き物です。いわば、日本を現代の形へと変えるきっかけとなった鎖国の終焉もまた、鯨類の存在が大きな要因でもあります。時代を作った鯨は、1970年代の頃からは、その姿を見ることで各種の材料から心を充たすという用途へと変革を遂げてきており、クジラウオッチングを1975年にはアメリカの東海岸プロビンスタウン(人口わずか4000人ほど)で初めて事業化したことで観光がとても盛んとなり、それ以降アメリカ・カナダ・メキシコ・オーストラリア・ニュージーランド・日本国内では、東京、千葉、和歌山、鹿児島、高知、沖縄。北海道では、室蘭、標津町、羅町で事業活動とされてもいます。世界でも数少ない鯨類が生息できる海を持つ私たちの室蘭。勿論、観光の一つの光としても期待は大きいですが、何より古くから室蘭と共に生き続けてきている生物がいつまでも室蘭と共にあるような未来へ向けての環境をと想いが広がりました。

 

(室蘭のあゆみ、きらん室蘭入門書を参考とさせて頂き、一部抜粋させて頂きました。)

「2016/1/24 菅原由美」

  • 室蘭市でのイルカ・クジラウオッチングを御希望の方へクルージング