1878年(明治11年)8月,英国の女性旅行家イザベラ・バードは,東京から東北地方内陸部を経て,津軽海峡を渡って函館に到着する.
函館にはイギリス領事館があり,フランス公使館のディースバッハ伯爵,オーストリア公使館のフォン・シーボルト氏,オーストリア陸軍のクライトネル中尉と会食している.そうそうたる男丈夫の面々である.イザベラの予言を引用する.
「彼らは明日奥地探検旅行に出かけることになっていて,...彼らは食料や赤葡萄酒をふんだんに用意しているが,とても多くの駄馬を連れて行くので,その旅行は失敗に終わることを私は予言する.しかし私の方は荷物を45ポンド(約20キログラム)に減らしているから,成功は疑いない」
自信満々のイザベラは,森町の桟橋から室蘭に向かって,彼女が「あわれな汽船」とよぶ連絡船に乗った.
「このあわれな汽船は,機関によく故障が起きて,とても頼りにならないが,困難な回り道をしないで新しい都(札幌)へ到着しようと思えば,この方法しかないのである.桟橋を拡張し,役に立つりっぱな汽船を連絡船に使えば,これこそ有益なお金の使い方と成るであろう」
と述べている.噴火湾をぐるりとまわれば100マイル(約160キロメートル)かかるところを,連絡船なら25マイル(約40キロメートル)であるから,当時としても夢のような短縮であっただろう.美しく青い海の周りには,赤い火を吐いている火山が見える.駒ケ岳か有珠山か,あるいは羊蹄山だったのだろうか?まさに噴火湾である.
たったの40キロメートルを6時間も退屈な時間がかかったとあるので,時速6.7キロしか出ていない.たしかに頼りないスピードである.21世紀の現在(2016年)の船ならば20ノット(時速37キロ)ぐらいは出るとおもうので,1時間あまりの船旅になるはずである.
(CC BY-SA 2016. 1. 18 Yasushi Honda)
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