「大丈夫。」無駄なものはない。久田恵 について知っていることをぜひ教えてください
「大丈夫。」 無駄なものはない 久田恵
久田恵は20歳で大学を中退し、家を出て同棲の末に男児を授かるものの、子供が3歳の頃にシングルマザーとして歩き出した。
小さな子供を、手元で遊ばせながら働く為に選んだのがサーカス団の住込み炊飯係。
そこでの経験を基に執筆の仕事を得ることとなる。そこだけ聞くと、ある種のシンデレラ物語のようなサクセスストーリーを思い浮べがちであるが、現実は当たり前に厳しく山あり谷ありなのである。
貧乏な母子家庭生活。
元気であったはずの母との長い介護生活の始まり。
15歳から学校へ行かなくなった息子がその経験を元に母と同じ執筆の世界に生きるようになるまで。
すべてを肯定して、ありのままに受け入れること。
それが幸せへの最短距離であることを知らせてくれる。
久田 恵(ひさだ めぐみ、1947年10月7日- )は、日本のノンフィクション作家。北海道室蘭市出身。上智大学文学部社会学科中退。本名・稲泉恵。花げし舎主宰。
人形劇団・放送作家・雑誌記者など、20以上の職業を転々としたのち、子連れで入ったサーカス団での体験をまとめた『サーカス村裏通り』(JICC出版局)が大宅壮一ノンフィクション賞候補に。
1990年、『フィリピーナを愛した男たち』(文藝春秋)により第21回大宅壮一ノンフィクション賞受賞。第36回大宅壮一ノンフィクション賞受賞の稲泉連は息子である。
読売新聞「人生案内」欄の回答者を務める。2008年度まで朝日新聞の書評委員も担当していた。
(ウィキペディア 久田恵より引用)
「大丈夫。」….第3章「子別れ」に向かって
学校から帰ると、平和ボケした母親が「学校どうだった?」と聞いてくると、僕はムカついて「うるせぇ!」と叫んでしまった..(ノンフィクション作家、息子稲泉連の手記より)
小学3年頃から激しいチック症状が起き始め、そのうちに学校には行けなくなるだろうと医師から宣告されていた息子だが、せめて義務教育は行くべきだと思い込んでいたのか限界まで登校していた。とうとう高校1年の時に、学校から帰ってくるなり泣き出して、布団に潜り込みそのまま不登校となる。その時、母である久田恵は、とても重大なことに気がつく。「これは緊急避難なのだ」と。
それから、昼と夜が逆さまになる生活が始まっていく。もっと早くにこれほど危機迫っている心の状態に気がついてやれればと振り返るも、生活が掛かっている執筆の仕事と、母の介護で追われていた母(久田恵)には、息子の心に気がついていながらも、できる限り問題を起こして欲しくはないと言うのが心の真実でもあった。母自身も、生きるのに精一杯であったのだ。
登校しなくなってからの彼は十分に得られた暇な時間を利用して、様々な知識や腕を身につけていくこととなる。本を読むようになり、パソコン、ゲーム、ギターまで弾けるようになる。親から見た無駄だと思われる行為が、現在の仕事である執筆活動に全て生かされているのだ。勿論、チック症も現れなくなり、新しくできた友人たちとバンド活動を施し、高卒認定(大検)に合格し、18歳になった夏の終わりに、一人暮らしをすると言って、免許取り立ての車に身の回りの物を載せて慌ただしく家を出ていく。巣立ちの日だ。自分の力で生きようとする息子の姿を確認した時に、喜びと共にふと終わったのだという寂しさも覚える。そして、その気持ちに整理をつけたとき初めて、息子が右往左往している姿を、どこまで飛び立って行けるのかしらと見守れるようになっていた。
「親には子供のことは解決できない。親は親の人生をひたむきに生きればいいのだ」
学校へ行かない。不登校は、一般的には社会的なレールから逸脱しているように思われがちではあるが、実際には一人の子供の人生を救う手段でもあるものなのかも知れない。
子供に対する親の悩みというのは、その大抵は親の子どもへの期待度に比例して起こる。多くの親が陥りやすいのが、子供が自ら「生まれてくるもの」としてではなく、自分が選択して「産んだもの」として見てしまう事で、自分が産んだのだから自分の望むように育てる事が出来るのだと思い込んでしまうことである。
『子供は生まれたーい、生まれたーいと自ら願って産まれてくるものなのだから、育ちたーい、育ちたーいと願って自ら育っていくに違いない。その命の強さを親は信じて手伝ってやればいい。育ちたい命を妨害するようなものから守ってやればいい。育ちのプロセスで、いろんな問題を起こしたとしても、あれこれ躓いたとしても、それはその子が育っていくために、是非とも必要なことなんだ。』
長いこと生きていれば必ず何らかの壁にぶつかるのは当たり前のこと。
わかっていながらもその都度、慌てふためき、落ち込み嘆く。
どうしてこうなってしまったのか?
現実に理想を重ねてはため息をつく。
全てが無駄なことだったのだろうか?
そんな時に思い出したいのがこの言葉である。
「大丈夫。」
頑張ってやってきたことにはひとつの無駄もないのだと気が付く時が必ず来るのだろう!
形にはめる事が必ずしも幸せということではないのだから。
[2015/4/29 菅原由美]
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