久しぶりに休みの日のいい天気。
午前中のあれこれを片付けて、午後、友人の投稿に刺激されてイタンキ浜へ。
空は青く、海はブルー。でも流れ昆布の溜まっているちょっとした溜まりの透明度は、そこに水があるのを感じさせないほどのさわやかさ。そんな景色にシャッターを押し、ふと浜辺を区切ってしまっているテトラポッドの向こうを見ると、子供の頃を思いおこさせるような砂浜があった。
水際を楽しんでいる子供連れの家族もテトラポッドに仕切られた浜ではなく、あくまでも自然なイタンキの崖のほうの砂浜で水に濡れ、はしゃいでいる。テトラを回ろうとすると、そこには小椅子にどっかと座り、丘を、空を眺めている初老の姿があった。見ていると何をしているわけでもなく、ただ眺めているという体だった。近づいて、写真を撮らせて欲しいとお願い。一瞬怪訝な表情を見せながらも「うしろ姿を」という言葉にOKしてくれた。
なぜここにいるかを知りたくて、仲間と「室蘭のこと」を日本中に、世界中に伝えることをしているグループがあることを伝え、スマホに残っていた画像を見てもらった。それは、いまそこから見える景色であり、海から眺めた断崖であり、噴火湾に向こうに沈む夕景。声をあげて感心してくれた。
そのおっとりとした構えにますます興味を惹かれ、ワタシがS.24生まれであることを伝えると、自身はS.29年生まれとのこと。中島本町にお住まいで、ここの景色がたまらなく好きで時間のあるときはこうして、ただ丘を、波を、海のかなたを眺めているという。
椅子について聞くと、いつもはテトラの上とか防波のコンクリに座っていたのだが、尻が痛くてね、と笑い、近くの量販店で見つけたのだという。なるほど座面にクッションがあり背もたれもあって、座る姿も心地よさそうだった。その説明のときに時折見せる表情が人懐っこく、安心感、親近感を覚えさせるものだった。
「ここの波はこんななの?」
「ええ、もうちょっと大きなときも」
「幌別の波は違うんだよね。ザッブ~ンと来る」
生まれ育ちが幌別らしい。それは砂浜に打つ寄せる波と護岸に打ちつける波との違いなのだろう。ワタシが輪西生まれ、輪西育ちで現在は八丁平。子供の頃はここの浜で遊んでいたことを話し、何もない室蘭。と思っていたのをほかの地域からきた人たちに室蘭の良さを教えてもらったこと、昔は嫌がっていた海霧も見方によっては海から這い上がる竜にたとえて、幻想的な魅力を伝えている。そんな人たちが室蘭に来るとユースホステル(YH)に泊って、朝陽を楽しんでいるですよ、と。
目の前に見える断崖が崩れ、この浜を形作っているのだろうこと、このイタンキ浜の断崖と舟見町のMランドから見える蘭西の断崖ではその地層が違っていること、それらを海から眺めて写真を撮っているひとがいることなどを話すと、「海からは眺めて見たいですね」と。
ここから眺められるYHの上のほうの小高い丘に「マンチェスターの丘」と名づけていること。そこからの眺めは、広く雄大な太平洋にきれいな海岸線。遠景には噴火湾の恵山の先までが見え、振り向くと生活感あふれる工場群。こんなに自然と躍動するコンビナートが一目で見られるところは素晴らしいところですよね。昔は3本煙突、4本煙突からもくもくと煙を上げて動いていたんですよね。と言った言葉に反応。
「そういえば4本煙突ってありましたよね」自身は新日鉄勤めだったという。
「入社したときは7,000人もいてね」
「幌別(社宅)から汽車通勤で、輪西の駅から会社の正門・中門まで人の波が続いたものです」と振り返って話してくれた。まったくワタシの記憶と同じで、それからこの工業団地ができる前はゴルフ場で、YHが当時のクラブハウスだったこと。コースの芝をはがして白鳥コースに持って行ったことなど昔のことの話しに花がさいた。
そして、室蘭には芥川賞作家が出ており、また室蘭を舞台にした小説などがたくさん「港の文学館」にあることで、「室蘭は鉄の町で不景気な何もない街」と思っていた自分たちが目覚めたこと。それが、ほかの地域から来られたかたたちに目覚めさせてもらったことをお話しすると、
「知らないことを聞いた」
という反応だった。
昼下がりの気持ちよい青空の下、心地よい風のなかでの小一時間のお話しだったが、彼はまた椅子を持ってきてここの景色をながめたとき、今日の話を思い出して何を想うだろうか。別れ際に「いやぁ、忘れていたことをいろいろと思い出したよ」と言ってくれた「室蘭のひと」観光で訪れた旅行客とはまた違った「懐かしむ」話しができたこと、ワタシも楽しかった。
「ワタシたち年寄りは昔のことを伝える義務があるんですよ」
と言ったときに大きくうなづいてくれた。彼の中に何かを感じてくれたのならうれしいこと。
またお会いしましょう。
2016/7/11 Kurachi