室蘭の宝、室蘭民報 について知っていることをぜひ教えてください
 

 


一度は北海道全体の新聞のなかに組み込まれたものの、敗戦国となり、経済の立て直しを各都市が模索していたとき、室蘭の自立の象徴のように独立した新聞だと聴いています。室蘭にお住まいのみなさん、この新聞で感動したこと、嬉しかったことを記述してください。室蘭の経済を守り、未来を創る上でとても大切な新聞です。

 

 


室民の宮古取材が出会いをつくる

 

3年後の春に向けて、「フェリー航路 岩手県宮古市を訪ねて」5回に渡る連載シリーズ。
室蘭民報さんの記者の方が実際に宮古市を歩いて取材された記事を興味深く読ませてもらっていました。

その中で一番印象深かったのは連載3日目の記事。
”観光復興に期待寄せる”と題した記事には、一人の男性の写真が大きく掲載されていました。
男性は宮古の『イカ王子』。
室蘭の人に宮古の海の恵みを味わってほしい・・・
東日本大震災で多大な被害を受けて危機に陥った時、「自分が何とかしなくてはいけない」と立ち上がり、同業者に声をかけて『チーム漁火』を結成して、それぞれの得意分野を生かし共有し合って”宮古ブランド”を守り抜いたと・・・

3年後、室蘭からつながる先の宮古にはこんなに温かい方たちが待っていてくれるんだと、胸が熱くなりました。
室蘭民報さん、素敵な王子様さんをご紹介してくださってありがとうございます。

この後、私はたまらず『イカ王子』さんの会社共和水産株式会社へ連絡させていただきました。
こちらの記事もご覧ください。
『イカ王子』

(2015.4.10 sachiko

 


LocalWikiの役割や意味を正確に伝えたこの国で初めての新聞


2015.3.28朝刊

粟島記者は、私達がつくるLocalWikiのこの室蘭のリージョンと編集会議を丁寧にご覧になり、その存在価値を解明する記事が室蘭民報に掲載されました。取材を受けた、高山さんと櫻井さんは以下のように語っています。

編集の中心を担う高山さんは「何度も記事を読み返しました。室蘭ウィキ、室蘭ローカルウィキことを十分にご理解いただいた上で書いていただいたことがとても嬉しかったです。私も記事を書くのが好きです。室蘭の素敵な事を発信するのが楽しいです。粟島さんの記事に対する思いを感じることができました。偉そうな事言ってすみません」と遠慮しながらも記事の質を称賛。

室蘭リージョンを立ち上げた櫻井さんは「とてもありがたい記事ですね。取材から2週間、粟島記者は相当お調べになったんだろうと思います。私がLocalWikiの記事は匂いまで感じるような記事にしたいと思っているのと同じように粟島記者の書いてくれた記事は私たちの体温の温もりまで表現されているようです」と心から喜んでいます。

取材された当人が満足出来る正確さを追求するのは、特に、LocalWikiのように、ネットメディアの中でも新しい概念で動いている場合なおさら難しいと思います。これ迄も「ソーシャルメディア」の括りで他のものと同一視で片付けてしまうもの、既存のWebとの違い、位置情報の活用や相互編集の意味合いについては全く理解出来ないでいるもの、編集会議に位置づけたFacebookGroupの室蘭wikiと区別がつかない理解が多かったと総括出来ます。

粟島記者は「室蘭ローカルウィキの中では、自由にまちを紹介する記事を書き込める。例えば、川崎近海汽船のフェリー航路検討については『私たちも今からできることがないか考えたい』という意見や、『フェリーターミナルや室蘭航路について知っていることを教えてください』と情報の拡充を求める書き込みも相次ぐ。さらに室 蘭の歴史、室蘭で活躍する人物、眺めの良い場所、食など、幅広い情報が日々書き込まれている」と、短い文書のなかで、私達が、出来るだけ多くの人々が一緒に街の未来を考えようといていることまでを解明してくれました。取材されたお二人だけでなく、多くのLocalWikiエディタが嬉しいと感じた素晴らしい記事でした。

また、室蘭を大切に思う気持ちが同じでも、フェリーターミナルがどんな記事になったか、これからの発信も含めてこちらをご覧下さい。
フェリー、嬉しいね


粟島記者は「室蘭港のフェリー撤退以降、継続して取材しておりました。旬の話題にもリンクするみなさんの熱い取り組みに、ニュースを感じました」と取材の動機を語ってくれました。

 

 

(2015.3.30 杉山幹夫)

 


わたしが感じた室蘭民報のこころ

2015.3.28の粟島記者によるLocalWikiの記事を見て、昨年5月、工藤社長自ら私に見せてくれた室蘭民報のこころを思い出しました。

私は2014年4月に室蘭地区バスケットボール協会の設立年を調べる担当となりました。昭和8年4月ではないかとの情報はあるものの確証はなかったのです。お得意のインターネットを駆使したり、小学校の施設見学以来の室蘭市立図書館で調べたり・・・決定的なものが見つからないまま途方にくれていた2014年5月頃…室蘭民報社を尋ねて行きました。受付で相談すると通されたのはなんと社長室・・・工藤忞社長にご対応いただきました。

工藤社長はじっくり話を聞いていただき、こういったものの調べ方を実際に教えていただき更には一緒に探して頂きました。そして「室蘭市史」の中からそれらしいものを見つけその後は関連しそうな書籍など探し、更には新聞のデータベースまで検索させていただきました。

その、社長自らの熱いまでの探究心が室蘭民報の根底にあるフィロソフィー(哲学)なのだと感じました。

粟島記者から取材の日にFacebookの編集会議グループ(室蘭Wiki)に参加申請いただので即承認、取材から1週間たった頃にはやっぱり記事にはならなかったのかな・・・って思っていましたが取材から2週間後に細部まで取材尽くした記事を見て「やっぱり室蘭民報!さすが!!」と思いました。

(2015.4.10 Takashi )



以下wikipediaより引用

1902年創刊の「室蘭時報」がルーツ。1941年には政府の一県一紙政策により室蘭タイムスと合併、「室蘭日報」に改題するも、その翌年には道内に点在するローカル紙が全て統合(当紙は北海道新聞社の室蘭支社となった)されたことで一時廃刊となる。

戦後まもなく、地元経済団体らを中心に地元紙復活の機運が高まり、1945年12月8日北海道内のローカル紙のトップを切って「室蘭民報」の題号で創刊。 1956年からは朝刊に加え夕刊を発行。現在、都道府県庁所在地以外に本社を置く新聞社で朝夕刊セット発行を行っているのは、全国でも室蘭民報社だけとなっている。

海抜:5.5m(国土地理院地図)

 

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