幡守神社 について知っていることをぜひ教えてください

1874年(明治7年)

石川家氏神の角田の幡守神社の分霊を奉斎




カタクリの名所

ここ幡守神社と、道を挟んだ向かい側の幡守公園は、市内でも有数のカタクリの群生地。毎年5月頃になると、薄紫の可憐な花を咲かせます。

[2015/07/14 山田 正樹]


初めて鳥居をくぐった時、空気が変わった。これはなんだろうなと不思議な感覚、しばらく無言のまま階段を上りました。

あの空気をもう一度確かめたくて、また来てしまいました。

冷えた空気が心地よくて、とても心が落ち着く空間です。


正午を少し過ぎた時間、休息にもってこいの場所みたい。おじさんの気持ちわかる気がする。

(2015.7.15 sachiko

 


8月11日は今年から山の日として祝日になりました。
そんな日に幡守神社へお参りに…

ピンと空気の違う境内へ入ると神々に守られているような包まれた感じがする不思議な神社です。




 

〔2016.08.11  Takashi


御祭神について

当社の御祭神について調べてみたら面白いことが分かったので記録しておきます。
当社の御祭神は、北海道神社庁の神社データベースによると、以下3柱ということがわかります。

  • 源經基王命(みなもとのつねもとおうのみこと)
  • 源有光公命(みなもとのありみつこうのみこと)
  • 源昭光公命(みなもとのあきみつこうのみこと)

いずれも歴史人物の人名っぽいので調べてみたら面白いつながりが浮かび上がりました。

源經基王
(ウィキペディアの記事:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%B5%8C%E5%9F%BA)

清和源氏の祖と呼ばれる人物で、平安時代中期の清和天皇の孫の一人で、臣籍に降下し源姓を名乗ったとされています。
鎌倉幕府の将軍家である源氏も、室町幕府の将軍家である足利家も、江戸幕府の将軍家である徳川家も、全て彼の子孫を名乗り、源氏の当主であることを権威の根源としていました。

源有光公
(ウィキペディアの記事:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E6%9C%89%E5%85%89)

平安時代後期の人物で、陸奥石川家の2代目ということですが、前九年の役の折に戦死した父頼遠の跡を次いで軍功を納めたとありますので、実質初代と言ってもいいと思われます。
この軍功を評価され、奥州石川を中心に領地を与えられたとのこと。

源昭光公
(ウィキペディアの記事:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9F%B3%E5%B7%9D%E6%98%AD%E5%85%89)

戦国時代から江戸時代にかけての武将で、角田石川家の初代です。もともと伊達家に生まれ、陸奥石川家に養子に入り、江戸時代に入って角田の地を与えられ、その領主となりました。
仙台藩初代藩主伊達政宗公の伯父にあたる人物です。以降、角田石川家は伊達家一門筆頭として繁栄して行きます。

3柱の御祭神、それぞれが角田石川家に連なる節目節目に活躍した人物であることから、まさにこの神社は角田石川家の氏神と呼ぶにふさわしい神社と言えると思います。

[2017.02.15 山田 正樹]