海洞・・第一部

 

「…切り立った断崖の続く起伏の大きい岬とその突端の岩は、伏せた怪獣が背伸びした小さなリスと鼻先で向き合う形をしていた。もしその草に覆われた背に羊が点々と見えたら、まったく英国の海岸風景だ」

海洞アフンルパロの物語 第一部に見慣れた風景が描写されていた。

 

室蘭の断崖は作家が自身を知る特別な場所となったのかもしれない

「山 道の途中からは、湾内の石油の貯蔵タンク、林立する煙突や赤さびた巨大な鉄工場、港に停泊する船、旧室蘭市街なども見えたが、その背中に当たる太平洋岸の この自然地帯は今まで意識から全く欠落していたのだ。この両方があってはじめて室蘭が奥行きのある都市となる、いやむしろ今まで見過ごされて隠されてきた 自然の部分によって、はじめてこの町は豊かで美しくなるのだということに気づいた」 「こんな宝物を持っていたんだ、この町は。しかもこんなに人家に近いところに」 「英国にだってこんな町はない」(海洞 第一章より)

恵まれた街を改めて眺めてみたい......。

この作品は三浦清弘氏が室蘭のことを小説にとの強い要望を受けられ室蘭民報に4年間連載されてきたものだ。

「ア イヌのことをいろいろ調べているうちに、アイヌ文化の奥深さと、その苦難の歴史を知り、ぜひ作品の中に書いておきたいと思うようになった」「母の従兄が政 治家だったおかげで、大正、昭和にわたる日本の姿を書くのも容易となった」「明治時代に祖父が作り上げた写真館が戦後没落するまでを描くことは、室蘭と日 本の歴史を語ることにもなるだろうと思った」(海洞あとがきより)

東京大学を中途退学して日本を出た三浦氏。

「日本を出てアメリカに行くとき、過去はすべて棄ててしまおうと思ったのだ。プレジデント・クリーク号の後方降板に立って…..。親も、友人も、この日本で起こった全てのことともお別れだ。俺はこれから全く新しい人生を始めるのだ、と思った」(海洞 第一部より)

母国を離れアメリカに渡って初めて、本当に自分に合った生き方が出来る場所は日本なのだ、初めて自分の精神は日本人そのものなのだということに納得し帰国した三浦氏。

亡くなった母の故郷で、幼い頃暮らしていた室蘭。

 

「生きてきた場所」を小説の中に見たのは初めてのことだった。

違う土地に行けば違う人生が…..と考えたことがないといえば嘘になる。

ほんの一年前までは室蘭の素晴らしい所をと訊かれてもすぐに言葉が出ないほど、ただただ生まれ育ったから、ここにいることが当たり前だというだけだった。

だのに不思議なものだ。問いに応えて言葉にしているうちに次々と自分の口から室蘭が溢れ出てきた。ここは、大昔、幾度となく繰り返されたマグマの活動から生まれた地形美と北海道の中心とされた工業地帯が共存している。

自然は普遍的なようで、波、多雨や多雪、温度変化、人の手によっても常に表情を変える。人も工業地帯も、全てが時と共に変化するのだろう。同じ場所に立って見た景色が必ずしも同じ形で存在はしない。だから今、この瞬間の美しさを目に焼き付けたい。気づきの繰り返しが未来へと繋がるのだ。当たり前だと思いこんできた街が確実に特別な場所へと変わって行く。自然災害も少なく、漁れた魚は舌を唸らす。ここは思う以上に恵まれた街。

そしてそんな折、この作品と出会った。

 

〔2015/10/30 撮影:中村麻貴氏/文 菅原由美〕

 


 

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