港北町の登別軟石 について知っていることをぜひ教えてください

 

 


港北町の登別軟石

最近、FB上で賑わっている「登別軟石」の話題を覗いていて、「小豆色が特色」という解説にひらめくものがありました。
「小豆色の石垣」。子供の頃から、当たり前の近所の風景として日常的に目にしていた記憶が蘇ります。

新日鐵港北社宅が解体されたのが昭和58年頃。
そして今のように宅地造成が行われたのが平成ヒトケタ代。
その間の10年ほど、港北町の社宅跡地は荒れるに任されていました。

あちこちから湧き出る湧き水を排水していた排水路が壊れ、空き地に大きな池を作り、
さながらここに人が定住する前、谷地だった頃に戻ったかのような風景が広がっていました。
そこは、小学生だった僕たちにとっては、格好の遊び場だったのです。

その谷地の中に、堂々とした姿で残されていたのが、斜面に建つ社宅の土台を支えていた石垣でした。
その石垣を構成する石が、この「小豆色の石」だったのです。
その姿は、今にして考えれば中世の城郭跡のような、古代遺跡のような、なんとも子供心をくすぐる光景でした。

しかし、その後港北町は新興住宅地として宅地造成され、大きく姿を変えました。
町内あちこちにあった石垣も姿を消してしまっていて、今それを探すのはなかなか大変です。

そんな中、港北町2丁目のある場所で、そんな石垣を見つけました。

これこそ僕たちの子供の頃の港北町を物語る原風景。ずっとずっと残して行きたいものです。

[2017/07/10 山田 正樹]