空襲・艦砲射撃慰霊碑 について知っていることをぜひ教えてください

『空襲・艦砲射撃慰霊碑』
所在:中島本町公園内  住所:北海道室蘭市中島本町2-8
建立者:中島社宅民和会 建立年:昭和34年3月21日
※毎年、7月15日に慰霊祭が行われている。

『北海道空襲』
 終戦まで、あと一か月の「1945年(昭和20年)7月14日、15日」
道内は70市町村で空襲被害に遭う
判明しているだけでも合計約2000人が死亡、負傷者は1000人近く、被害戸数は約6600戸
日鉄と日鋼のある室蘭も500人以上の犠牲者が出た。(参考文献・資料より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

『慰霊碑に刻まれた言葉』
 「第二次世界大戦も終局に近い昭和二十年七月十四日十五日の両日にわたる艦砲射撃のために中島社宅在住の人達百九十二名の尊い人命が失われた。当会では終 戦後毎年この人々の冥福を祈ると共にこのような過ちを再び繰り返さないために慰霊祭をおこなって来たが、この度この碑を建立し犠牲者の冥福を祈るものである」 昭和三十四年三月二十一日 中島社宅民和会

1945年(昭和20年)7月14日・15日

【July,8,2016 writer&photo by Hiroaki Amano

 この石碑は中島本町公園の片隅にあります。
その存在を知ったのは、中学2年の夏休みでした。担任が主催する室蘭史研究サークルに誘われて参加したのです。室蘭市内に残る戦争の跡を調べる企画で、引率の先生ら数人と訪れました。もう、40年も経ってしまい、メンバーの顔も忘れてしまいましたが、この石碑があったことは覚えています。

 以下は、当時の担任が取材した証言の一つです。既に先生も証言された方も故人ですが、先生が亡くなる9か月前に預かった資料(地理研究会投稿文)からの引用になります。僕に挿絵を担当させて書籍化したいと語ってくれたのですが実現できませんでした。(公開利用の許可済です)

 「14日は空襲、母恋富士の雲のきれ目からゴマ粒のような艦載機が現れ、ヒュルヒュルという機銃とパッパッと火の色が見え、港と工場、住宅を攻撃、私は防 空壕に駆け込んだ。15日は艦砲射撃、暑い日だった。朝9時半頃、地球岬、イタンキの方でズズンという発射音に次いでヒュルヒュル、ドカンという音がして 日鋼の工場から黒い煙が上がった。私たち30~40人が学校の前に集められ、担任の畠山先生の指示で、トラックに乗って遺体収容に行った。兵隊3人が同 乗、母恋からラッパ森へ向かう途中、電柱が折れ、全壊した家、うす青い煙が舞い上がっていた。たんすや畳、家財道具が散乱、日鋼の社宅はすり鉢のような大 きな穴があけられ蜂の巣のようだった。布団やたんすの中身、そして死体がゴロゴロ転がっていた。電線にはピンクのひもがぶら下がり、その下に足があった。 御崎駅の坂を流れる水道水は血に染まっていた。家に入ると、若い母親がグッタリした姿で死んでおり、背中の赤ん坊の頭が半分えぐられていた。私は体がガチ ガチと鳴って止まなかった。私は素手で死体を引き出し、布団やゴザにくるんでトラックに運んだ。血と腸のにおいの中でゲーゲーと吐きながら無我夢中で夕方ま でこの仕事を続けた。」 

当時、14歳、成徳国民学校高等科2年、寺地憲一さんの体験より。

※ご存知の方も多いと思いますが、寺地憲一さんは、その後、様々な分野で活躍されました。この戦火の犠牲になられていたら、今のイタンキの鳴り砂も過去のものになっていたかも知れません。これらの功績につきまして、調べて投稿しようと考えています。ただ、寺地さんのことですから、「自分のことより、もっと伝えることがあるよ。」って言われますね。

母恋弘済保育園

ほかにも多くの体験・証言などが記録されています。
【参考文献/身近なものでは】
・室蘭栄高等学校創立80周年記念協賛会『北海道室蘭栄高等学校創立80周年記念誌 栄えよわれらが母校』
・北海道室蘭商業高等学校『室商五十年のあゆみ』(1974年)
・真宗大谷派東圓山廣徳寺沿革誌編集委員会 『光炎-真宗大谷派東圓山廣徳寺沿革誌』(1992年)
・道南バス株式会社『道南バス四十年史』(1966年)
・北海道地理教育研究会『室蘭歴史散歩』(2011年)
・室蘭地方史研究会『室蘭戦災誌-空襲と艦砲射撃の記録』(室蘭市教育委員会 1983年)第11,13,30号
【購入した書籍から】
・菊地慶一『語りつぐ北海道空襲』(北海道新聞社2007年)
・工藤洋三 鈴木梅治『アメリカが記録した室蘭の防空』(2014年)
・総務省サイト 室蘭艦砲射撃慰霊碑

室蘭市役所 広報むろらん2015年8月

戦争については、様々な考えがあると思いますので、ここでは複数の資料や著書に基づいて客観的な事実だけを記載しているつもりです。不適切と思われる場合は、Wikiルールに則り、削除・編集されても構いません。(Hiroaki Amano

 

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