明治初期,東北内陸部から蝦夷地を旅したイザベラ・バードは,噴火湾を船で渡って室蘭湾に到着する.

 著書「日本奥地紀行」の中で,蚊やその他の虫に悩まされながらも,彼女は日本の風景や風土をよく褒めている.とくに米沢平野の様子をまるで桃源郷のようだと例えたように,よく手入れされた田園などの耕作地帯の美しさをしばしば描写している.狭い国土の上で食料生産のための田園に雑草一本ない風景は,われわれ日本人にしてみればそれほど珍しい風景でもないが,外国から来た人々にとっては日本人の勤勉さを象徴する美しさを感じるものなのかもしれない.

 室蘭にはその地形から,広々とした美田はないが,「日本奥地紀行」の中でイザベラは念を押すように何度も「美しい」を連発している.

 「夜の八時になってようやく,船はほとんど陸地に囲まれた美しい室蘭湾に着いた.ここは両側が険しくて,森が茂り,深い海が岸近くまで迫り水深が深いから,外国の軍艦がときどき来て碇泊できるほどである」

 当時はやっと札幌本道への砂利敷き道が整備された時代である(1872年,明治5年).当然室蘭湾が浚渫されて外国船の受け入れ態勢を整えていたとは考えられず,自然の状態でそのまま良港となり得ていたことがわかる.もっともこの当時では,彼女も「室蘭港」とはいわず,「室蘭湾」と呼んでいる.

 「室蘭は絵のように美しい小さな町である.とても美しい湾の険しい岸辺にあり,さらに上方には豊かな森林におおわれた山がある.そこにある神社に行くためには,長い石段を登っていく.この山の蔭に,この海岸に沿って最初のアイヌ村がある.

...中略...

 山を登って頂上から眺めると,室蘭湾は実に美しい.一般的に言って日本の沿岸の景色は,私が今まで見たうちでもっとも美しい.風そよぐハワイの一部の景色は例外である.しかしこの湾の美しさは何物にもひけをとらない」

 ハワイの景色を引き合いに出しているが,彼女は実際に室蘭を訪れる3年前にハワイに6ヶ月滞在している.はるか昔の記憶からハワイの景色を思い出しているのでも,伝聞に基づいた比較をしているのでもないであろう.

測量山からみた室蘭湾

 「暗い森林の上方に,輝く海のかなたに,赤く尖った火山の頂上が聳えて見える.やがて道路は急に砂山に入るが,これは各地で断崖の岬となる」

 山の上から室蘭湾を眺めたのは,幌別方面にむけて出発した後のことなので,現在の輪西の上の観光道路あたりから,彼女は駒ケ岳や室蘭湾を眺めたのだろうか?だとすると,この砂山はイタンキ近辺のことかもしれない. 

 それとも,道はいったん測量山方面へのぼって,有珠山を見てから現在の追直し漁港のあたりが砂山となっていたのだろうか.

(CC BY-SA 2016. 1.21 Yasushi Honda) 

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