谷地で大地の力に引き込まれる...富盛菊枝 について知っていることをぜひ教えてください
谷地で大地の力に引き込まれる
《児童文学作家:富盛菊枝》
「いつになっても人生の出発点だった子供時代に思考の原点を据えてしまう」
離郷して50年、70代後半となられた現在に至ってもこの作家にとって室蘭は、「帰る」という言葉でしか表すことができない場所だという。
1938年生まれ、太平洋戦争が終わったとき七歳だった著者は、戦中戦後を通して、食べるもの着るもの、すべてが欠乏していた時代において
本は空腹を想像の力でなだめ満たす代用の食物であったと、「故郷の川を遡る鮭の背に」と題されるエッセイ集で語られている。
高校生になって、図書館に通えるようになった頃、「もっと、子供が全身を浸せるお話がほしい。心がもとめている糧、世界への目を開かせ感動を与えてくれる本がほしい。この時の願いがわたしを児童文学に結びつけてきたようだ。」と記してもいる。
現在の大沢町、当時の新日鉄瑞之江社宅で産声を上げ、男の子について遊ぶと面白いことがいっぱいあると知ったことで
道もなければ水飲み場もない、体中が泥だらけになる山の探検。
到底、まりつきだけでは得られる事のない濃密な自然の中で呼吸していた著者。
当時瑞之江は、山の上に浄水場を持つほどの水源豊かな土地であったらしく、高いところから落ちる滝のような音が始終していた。
ハサミを振り回しているザリガニを捕まえてもらった遠い夏の記憶....
夏祭りに配られた、桜の花をかたどった薄紙の「お祭りの花」
戦後の一時期、お祭りにやって来たテントの内側に別の世界を作ってくれたサーカス....
秋になると、唇がたちまち汁で黒い紫のきみわるい顔になる、みんなには内緒だと約束したコクワの木に登った思い出
そこには、70余年前の室蘭が純粋な子供の目を通して描かれている。
人とのふれあい、共存している自然が溢れるように詰まっている。
小学校5年生の時に引っ越した知利別町は、雨が降ると窓越しに見える校庭は泥の海になり、湿地に咲くあやめの群落や、丈高い草の株を白い海霧がかき消して.....寂しいイメージが転校生の心に重なる
そんなある春の下校の道で、思いがけない体験をする。
まだ白く見える氷が覆っている溝で泥水が微かに動く。
一体その下で何が起こっているのか?
みんなが止めるのも聞かずに、長靴の片足を氷に乗せた。はずみをつけて、もう片方も。
みるみるうちに谷地の中に足が浸かり込んでしまい、友達2,3本の腕で引き上げられなければならぬ程の強い力で吸い込まれた。
地の底にある強力な力を恐ろしく感じた。
かつての自然の光景を眼前に蘇らせようと試みる。
あの異様な大地の底力をもう一度感じてみたい。
帰郷のたびに、今では住宅地へと形を変えた昔の谷地の道を歩きながら、谷地の力こそが文化を生む力だったのではないのかと気づく
(故郷の川を遡る鮭の背に、より)
「故郷の川を遡る鮭の背に」…主要目次
子供にとっての生と死/幼年時代の森/土地の記憶/戦争に遭った子供が見たもの
水に沈む/時の彼方の水平線/前田享之さんの室蘭/原郷への旅/目覚めない川
本嫌いの子と向きあって/児童文学と島/民族が子どもに伝える話/
近代女性誌の中の知里幸恵/イザベラ・バードとわたし 他、全31篇収録。
代表作には、「鉄の街ロビンソン」がある。
富盛菊枝さんの描く世界は、いつの間にか自分の記憶から忘れ去られてしまった大切なものを思い出させてくれた。
やはり文学には目に見えない力があるのだろう。
谷地で大地の力に引き込まれた時に得た原動力となるものが.......
室蘭で生まれた児童文学にこそ、私たちの原点が息づいている。
[2015/3/29 菅原由美]
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