新日鐡住金の正門は今も輪西と工場を結んでいる 撮影:赤池美紀

 

 

 

 

豚も最初はモツだったんですよ

 


「約50年前の頃は世間全体が貧しく、やきとりと言ったらモツ焼きが主流でした、何故なら新鮮な美味しいモツが簡単に仕入れる事出来たから室蘭市高砂町に(文化女子短大)とさつ場(食肉処理場)が有りました。ちなみに私の実家は鷲別駅西口で、さかえ食堂(ラーメン、やきとり)やっていましたが25年前に閉店しました」

「俺が腹に入った時だか、この店。うちが最初らしいよ。豚のやきとりは。親父が帯広で覚えて帰ってきた」


最初は鳥焼いてたんだよ

「最初は鳥焼いてたんだよ」

え?鶏焼いてなの?

「いや、鳥さ、鳥。その辺飛んでる鳥」

え?

「雀とかさ、網で獲ってたんだはわあ」

へー。いつの話?

「いや、私が生まれるまえだから、そうとう前の話だあ。いや、大したまえでないよ」笑

そうなんだあ。

「本当か、嘘か、見たわけじゃなからね。ほれ、中島に豚屋さん(養豚場)あったしょ。お客さん増えてきたら、仕入れられるようになったんだか、衛生だどうしたとかなんだか、鳥獲ったらダメになったんだか、豚になったのさ。だって、新日鐵から、仕事あけたら、そこの門からばーってたくさんでてくるしょ。いっぺんだもの。店に入りきらないのさ。皿も、箸もなくなるしょ。だから、やきとりだったら、持ってさ、店の外で食べながらのんでんのさ。野菜も肉もいっしょに食べらさるし、体動かして汗かいてるから、しょっぱいのが食べたいのさ。体つかったら、肉たべたくなるしょ。でも家にご飯あるから、ちょっと買い食いみたいな感じだったかかなあ。玉ねぎもね、細かくわけて刺せるしょ、一個買ったらたくさん串できるんだわあ。長ネギだった一本で何本の取れないし、太さとかそろわないんだわあ。だから、らえらいお金かかるのさ。そしたら、やきとり高くしなきゃなんないしょ」

「季節物だよ。渡り鳥のくる秋から冬にかけてはやってた。雀なんてとれないよ」


親父を迎えにって食べたなあ

親父がね、帰ってきたら飯食えるんだけど、仕事終わってもまっすぐ帰ってこないことがあってね。新日鐵の正門でたら、そこにやきとり屋があるからひっかかるんだわ。こっちは母ちゃんに迎えに行ってこいっていわれて行くんだけど、そしたら、仕事終わったおじさんたちが店から溢れてんだよね。みんな優しくて、頭撫でられたり、やきとりもらったりさ。親父も機嫌よくて大人の男の仲間にいれてくれる感じで嬉しかったの覚えてるさ」


仲よかった

やきとり屋どうしも昔は仲良くてね、みんなで旅行いってたりしたよ。


身体を動かした後は最高

「みんなで草刈りとか身体を動かして、汗をかいて、働いた仲間と、しょっぱい味の炒麺ややきとりを食べて一緒に酒を飲む。きっと、鐵工所で働くひともこんな風に、輪西の食物とか、うまかったんだろうなあって。仲間と仲良くなったんだろうな」

2015.8.15トレイル草刈りより

 



(2014年、1年間、輪西の新日鐵住金正門界隈で伺った話を書きました。正確な話かどうか、年代などはわかりません)