キャプションを追加輪西村開拓記念碑 について知っていることをぜひ教えてください

輪西村開拓記念碑は、本輪西八幡神社の境内にある、大正8年建立の石碑で、明治2年に朝廷の命によりこの地に開拓に入った仙台藩角田からの入植者の足跡が記されています。

 

 

 

 

 

 

 

 

碑文の文字起こしについて

 以前より、この石碑の存在は知っていたのですが、その碑文は100年もの間、風雪に晒された結果、文字はかすれ、かなり読みにくくなってしまっており、いつかこの文章をちゃんと読める形にしたいと思っていました。

 石碑は「いしぶみ」とも言います。まさに100年前の先人が、後世を生きる僕たちに伝えるために、石に刻んで残してくれた手紙に他なりません。それをきちんと読める状態にするというのは、大切ではないかと思ったのです。

 この度、概ね一通りの文字起こしが完了したので、ここに掲載しておきます。

 赤丸部分は、どうしても判読できなかった文字です。また、旧字体が多く、僕には読めない字も多く入っていたため、できるだけ形の似ている漢字を当てていますが、もしかしたら違うかもしれないので、その場合はどなたか指摘して頂けたら嬉しいです。

口語訳(概略)

輪西村開拓記念碑

  • 明治2年9月、朝廷が石川邦光に室蘭郡の管理を命じた。
  • 邦光は仙台藩の支藩の藩主である。
  • 同年11月、命を受けて、その家の役人である泉忠廣、添田龍吉らが本郡の郡政を継承するために来て、帰藩した。
  • 明治3年4月、龍吉ら3男女31人が本郡に再来し、移民の嚆矢となることを願い、輪西、元室蘭、及びチマイベツに分かれて住んだ。
  • 当時は文化が遅れ、土民が済むばかりの荒れた土地を、忠廣と龍吉らは報国の誠を以て鋤を入れた。
  • 明治6年、忠廣と龍吉は相談し、泉麟太郎を派遣して、邦光の弟である光親を迎え、共に働くこととした。
  • その業は、辛酸を嘗めるようで、なんとか一つの集落を作るにとどまった。
  • 明治4年に元室蘭に戸長役場が置かれ、明治6年に分署の署長として細川某が来た。
  • 明治7年、室蘭札幌間の道路が開通すると、同年龍吉の長子の欽允が来て、父の志を助けた。
  • 同年、元輪西において祠を建て、仙台の磐都嶺八幡宮の霊を祀った。
  • 明治14年、聖駕が北巡した際(明治天皇の北海道巡幸)、鷲別から室蘭までの間、龍吉らが鳳輦に付き従った。
  • 同年、61戸が移住してきて、明治19年頃、元室蘭あたりを開いた。
  • 明治20年、鳥取、兵庫、愛媛の3県から知利別に100有余戸の屯田兵が移住した。
  • 明治22年、福岡、佐賀、石川の3県から100有余戸の屯田兵が移住し、一個中隊となった。
  • 明治23年、室蘭札幌間鉄道が開通し、輪西驛が設けられた
  • 明治34年、農舎を設立した
  • 明治38年、鶴ケ崎に学校を開いた
  • 大正7年2月、いくつもの村を合併して室蘭区ができた。広さは51里、人口5万、海産物2千万円を算出した。
  • 龍吉は、製氷、製盥、鋳鉄、製絹、製粉を試み、養蚕、植樹、牧畜等の業を営み、土木教育その他公共事業を父祖二代にわたり独力で当たった。
  • それ以来50年、その取り込みは奏功し、大きく栄えるようになった。
  • その区民への奉公の至誠ゆえに、このたび中春に、添田欽允、浅野清らが議論して、碑を建て、もって後世にこの勤めを伝えることとした。

大正8年4月6日

北海道庁長官 正四位 勲三等 俵 孫一 篆額


[2023.1.3 山田 正樹]