輪西町は、旧士族の入植、屯田兵の入植と挫折から始まり、製鉄所が出来てからも昭和に入って安定稼働するまで何度も休止と復活を繰り返してます。
そして昭和40年代をピークに合理化が進められ、衰退の方向へ。その中でもまちを上げて市民会館の新築移転を成し遂げ、ぷらっとてついちを作り上げ、そして新日鐵住金の独身寮を受け止める。
室蘭市内でも、輪西ほど挑戦と挫折を繰り返してきたまちは無いかもしれません。それこそが輪西魂の源泉なのかもしれませんね。
黎明期
- 今の輪西町は、もともと市制施行前の輪西村字ペシボッケの地区が該当する。
- 旧輪西村は明治2年、現在の本輪西町に仙台藩角田の領主石川邦光公の家臣添田龍吉氏らが入植して始まった。
屯田兵時代
- 明治19年に輪西屯田兵の第一次入植が行われ、中島の中隊本部を中心に100余名が入植する。
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明治22年に第ニ次入植があり、知利別とペシボッケに分かれて入植。屯田兵により現在の輪西町の基礎が築かれるが、
満潮には海水が上がってくる湿地帯のため耕作に苦戦。屯田兵の離散・逃亡が始まる。 - 明治31年、屯田兵制度廃止。
明治22年に屯田兵が一面の湿地帯だった輪西に入植した頃、新室蘭(蘭西地区)は既に港町としての体裁を整え、繁栄を謳歌していたようです。
今日食べるものにも困る生活をしていた屯田兵から見て、新室蘭のまちはどのように見えてたのでしょうね。逆はどうだったのでしょう?
蘭西と蘭東の関係の根底には今でも それが脈々と流れているように感じます。。
てつのまちとして
- 明治42年7月18日、北炭輪西製鉄場第一高炉火入れ
- 大正6年、北炭と三井の合弁により北海道製鉄㈱に
- 大正8年、日本製鋼所が北海道製鉄を合併
- 昭和9年、日本製鐵成立により日鐵輪西製鉄所に
- 昭和14年、仲町第一高炉火入れ
- 昭和25年、日鐵解体により富士製鉄室蘭製鉄所に
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昭和45年、富士鐵と八幡製鉄の合併により新日本製鉄に
(この頃新日鐵室蘭の最盛期) - 昭和57年、高炉1基体制に
- 平成元年頃、高炉休止問題に揺れる
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平成6年、三菱製鋼室蘭特殊鋼稼働・北海製鉄業務開始
(北海製鉄は新日鐵と三菱製鋼の合弁) - 平成13年、北海製鉄第2高炉第二次火入れ
- 平成24年、住友金属工業と合併し新日鐵住金へ
まちの動き
- 大正~昭和にかけて、元町・三橋・柏木地区に社宅が立ち並ぶ。
- 昭和40年代? から社宅がアパートに建て替わる。
- 平成10年代、ぷらっとてついち建設に伴い元町アパートの一部解体
- 平成13年、ぷらっとてついち開業
- 平成14年、室蘭市市民会館新築移転オープン
- 平成20年代後半、柏木アパート解体
- 平成25年、新日鐵住金輪西寮の建設に伴い残っていた元町アパート解体
- 平成26年、新日鐵住金グループみゆき寮建設に伴い三橋アパート解体
- 平成27年、新日鐵住金輪西寮竣工・供用開始
[2016/03/22 山田 正樹]