室蘭市青少年科学館 について知っていることをぜひ教えてください
室蘭市本町二丁目2番1号
海抜:2.9m(国土地理院地図)
科学館のリニューアル計画 |
1963(昭和38)年。高度経済成長の入り口の年、全道で初の青少年科学館が室蘭に誕生する。札幌の青少年科学館が1981(昭和56)年にオープンする迄、札幌の子どもは、修学旅行や親に連れられてこの科学館のプラネタリウムを観た。地元の友人によると、子どもの頃、ふた月に一回(年6回)変わるプラネタリウムの番組を必ず見に来て、星座のこと、星のことを楽しんだという。室蘭の子は幸せだ。
僕は星があっと言う間に一晩の動きを見せるので、やっと教科書の北極星を中心に星が回るという話に合点がいったのを覚えている。小学校3年生だったかな。綺麗に左官されたドームの美しさ、プラネタリウムの機械の不思議な形、そして、優しく低く響く優しい解説のおじさんの声に魅了されたのを覚えている。離れの二階。今は小さく感じる、丸い屋根の建物。螺旋の階段。暗くなると大人は居眠り、子どもは大よろこび。
この科学館、手作り感満載。2005(平成17)年からNPO法人科学とものづくり教育研究会が市役所から移管されていらい、これがまたえらいたのしい。まるで縁日。ビー玉の路も手作り。自分で動かせるリニアモーターカー。ペットボトルで作った浮沈子の体験。これは、パスカルの法則がどうのこうのって教科書で習う前に「だって、握ったら、中の魚が沈むんだもの。いや、握ったら浮くのものあるよ。なんで?」ときゃっきゃ遊びながら「圧力」と空気、水のことを体験する。
高校の理科の先生だったり、子どもが大好きだったおじさんたちが退職したあと、子どもと遊んでくれる天国だ。みんな本当に優しい。子どもが興味を持つのをじっと待っている。質問なんかでたら大喜びでなんでも教えてくれる。子ども?いや、結構若いお父さん達がドハマりで真剣に遊んでいる。ちっちゃい子がビー玉ころがしているよこで、お父さんが集中して実験しているのがなんともすてきな風景だ。真剣な眼差しもいい。ちょっとハマっている自分に気付いてにやけるところもいい。「なんか、子どもと遊んでいるつもりが、自分の疲れが取れてます」と照れる。
化石が凄い。例えば絶滅したタカハシホタテ。「足寄でみっかったんです」と手渡すそれは、本物の化石。これを手渡して、重みを感じている所で「何時いたの?」「700万年前から、150万年前ぐらい。気温が高い時代は北の方に移動して、気温が低くなったら南の方に移動して、沢山いたから、時代によって、地球環境の変化がわかるんですよ。一緒に発見された生き物の化石もその環境にあっていたんだってわかる大事な化石なんです」。あらら、魚もアンモナイトも全部本物をそのまま触らせてくれる。「石だからぜんぜん触って大丈夫なんですけどね、東京からのお客様はそんなところ初めてってびっくりされます」。
流紋岩の透明な石英のつぶつぶが、トッカリショの崖から供給されて、イタンキ浜の砂になる話。近い所から運ばれるから角があるので、擦れたら音がでるんだって。なんて、今すぐ、見に行ける崖と浜がすぐそこにある。その上、双眼の顕微鏡が置いてある。これ、目の幅にちゃんと合わせると検体が立体的に見えてとても観察しやすいのだけど、合わせ方学校では教わらなかった。いや、きっと先生の話を聴いてなかった。この顕微鏡、昔は裏にしまってあったけど、市役所と相談して、いつでも使えるように、一階に展示して自由に触ってもらうことにしたそうだ。ずらっと何台もならんで、座る椅子もテーブルも脚を切って、子どもの高さに調整されてるではなかい。 おじさんが、顕微鏡の幅を目の幅に合わせてくれる。こんな風に面倒観てもらうの初めてかも知れない。眼鏡をしていると、ぶつからないようにゴムのガードを折り返してくれる。ピントの合わせ方を教えてくれる。サハラ砂漠の砂は、風で良く動いているから丸くなっているだって。「ほんとうだ、角が取れている」。イタンキの砂は、「本当だ、四角い、四角い、角ばっている」。「なんで、サハラ砂漠の砂、赤いの?」「酸化鉄が付着しているようですよ」。
やさしいおじさん達が、子どもにも、親にも一所懸命説明する暖かい科学館。プタネタリウムは50年前のままのドーム。三階には、新日鐵住金、日本製鋼所、JX日鉱日石エネルギーの展示もある。初めてセメントの作り方とか、軟鉄と鋼鉄の違いを勉強できたところだった。
(杉山幹夫 2014.9.9 )
科学クラブの想い出
室蘭で育った理科好き少年なら、きっと一度は通っているはず。それが科学館の青少年科学クラブ。かく言う僕も小5-6と2年間通っていた。
科学館に入って、スタンプ君の隣の一般入口ではなく、後ろ側の階段を上がったところにある実験室。それが科学クラブの活動場所だった。そこに入れるのが、どうにも誇らしくて。
1年間、月に2-3回ペースで様々な体験が行われてた。野鳥や動植物を観察しに出かけたり、実験室でビーカーとフラスコとアルコールランプでボコボコ言わせたり。スライム作ったり。
そうかと思えば模型を作ったり、果てはパソコンでBASICのプログラムを書いたり。
学校の授業とは違って、体験することや実感すること。不思議を目の当たりにして、その種明かしをしてもらうこと。それが楽しくて。
そんな科学クラブのお陰で、僕は決定的に理科や科学を嫌いにならずに済んだのかもしれない。
講師は、市内の小学校の理科の先生たちが手弁当で担当してくれていた。
今にして思えば、先生たちだってせっかくの週末、家族とのんびり過ごしたかっただろうに。
嫌な顔一つせずに、にこやかに優しく教えてくれた。
科学クラブは小6まで。それから4年後、僕は高校で、かつて科学クラブで一緒に学んだたくさんの仲間と再開することになった。
なんだ。やっぱりみんな、あの場で科学の「タネ」を植えられてたんじゃないか。
今でも毎年、3月になると新年度の科学クラブの募集が市の広報に載る。
それを見る度に、そんな自分の子供時代をぼんやり思い出したりする。
手作りの科学館
2005年以降は、前述のとおりNPO法人かもけんが科学館の運営をしている。
退職した校長先生たちが集まって組織したと聞くので、もしかしたら、かつて科学クラブで教えてくれていた先生たちではないだろうかと思っている。
だって、2005年以降に科学館に登場したいろいろな仕掛けは、
子供の首根っこを捕まえて、無理しゃり「学ばせる」「勉強させる」んではなく、
子供たちの方から好奇心を持って寄ってくるような仕掛けだ。
「なんだろう?」
「どうしてだろう?」
「不思議だなぁ。」
そんな純粋な好奇心を、「試験に出ないから」「受験に関係ないから」なんて無粋な理由で否定しない場所。
そんな子供たち目線の見せ方をできるのは、長年子供たちの好奇心に真正面から向き合ってきた人たちでないと、無理だ。
ここにあるのは、室蘭の子供たちのために、室蘭の先生たちが真剣勝負で作り上げた科学館。
だからこそ、子供たちが集い、はしゃぎ、駆けまわる。そしていつのまにか、「科学するタネ」を植えられている。
よそから持ってきたものではない。借り物なんて一切ない。室蘭市民が作った、室蘭市民のための科学館。
世界中探しても、ここにしかない科学館。ここにもまた、「世界で室蘭にしかないモノ」がある。
そんな、室蘭の魂とも言うべきこの場所。場所が変わったとても、建物が変わったとしても、ずっとそれだけは変わらないでいて欲しい。
かつてここで育ててもらい、科学する心をもらった身として、切に願わずにはいられない。
[2015/03/08 山田 正樹]
科学館のリニューアル計画
昭和37年に開館した青少年科学館は築50年を迎え、建物の老朽化が進んできました。
平成23年度の室蘭市による耐震調査では、耐震性を表すIs値が本館は0.4、プラネタリウム棟が0.37と、いずれも震度6の地震で倒壊等の危険性があると指摘されています。
このため、市では平成24年に、総合的な検討の結果、耐震補強し継続利用する施設として位置づけ、具体的な検討に入ってました。
そのような中で、2013年に室蘭でのPCB処理事業に首都圏地域の処理を追加し、期間延長とする案が国から提示された際に、室蘭市が「環境をテーマにした教育関連施設の設置を要望し、国が了承。
この予算を使って青少年科学館を環境科学館としてリニューアルする方針が示されています。
その際に、隣接する市立図書館も合わせた複合施設とすることが検討されているそうで、一部新聞報道されています。この記事の中では、2018年度オープンを目指していると書かれています。
室蘭民報 室蘭市青少年科学館が環境科学館へ、図書館と合築模索(2014/8/25)
[2015/03/16 山田 正樹]
その昔、科学館に入館すると、カンちゃんではなく、ロボ君がお話してくれてました。
も少し大きかった気がします。(僕が大きくなったのかな?)
入るとすぐに、大きなジオラマがありました
白鳥台から中島を通って、室蘭から、白鳥大橋を渡って汽車が循環します
ABCあたりからロープウェイが測量山に繋がってました
そういえば、橋は開閉式だったかも?
二階からは各所のボタンを押すと場所のランプが光るという画期的な分かりやすさ
室蘭の地理を一目で楽しみながら、覚えたものです
(2015.03.15 hiroshi)
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